R僕の生涯の絃《げん》の上には倦怠《けんたい》と懶惰が灰色の手を置いているのである。考えて見れば、これが生の充実という現代の金口《きんく》に何等《なんら》の信仰をも持たぬ人間の必定《ひつじょう》堕《お》ちて行く羽目《はめ》であろう。それならそれを悔むかというに、僕にはそれすら出来ない。何故かというに僕の肉体には本能的な生の衝動が極《きわ》めて微弱になって了《しま》ったからである。永遠に堕ちて行くのは無為の陥穽《かんせい》である。然しながら無為の陥穽にはまった人間にもなお一つ残されたる信仰がある。二千年も三千年も言い古した、哲理の発端で総合である無常――僕は僕の生気の失せた肉体を通して、この無常の鐘の音を今更ながらしみじみと聴き惚《ほ》るることがある。これが僕のこのごろの生活の根調である……」
郊外の中野の方に住む友人の手紙が岸本の前に披《ひろ》げてあった。
これは数月前に岸本の貰《もら》った手紙だ。それを彼は取出して来て、読返して見た。若かった頃は彼も友人に宛《あ》てて随分長い手紙を書き、また友人の方からも貰いもしたものであったが、次第に書きかわす文通もほんの用事だけの短いものと成って行った。それも葉書で済ませる場合にはなるべく簡単に。それだけ書くべき手紙の数が一方には増《ふ》えて来た。一日かかって何通となく書くことはめずらしくない。その意味から言えば、彼の前に披げてあったものは、めったに友人から貰うことの出来る手紙でもなかった。手紙の形式をかりて書いて寄《よこ》してくれた手紙でない手紙だ。読んで行くうちに、彼は何よりも先《ま》ず人生の半ばに行き着いた人一人としての友人の生活のすがたに、その告白に、ひどく胸を打たれた。ある夕方が来て見ると、あだかも彼方《あっち》の木に集り是方《こっち》の木に集りして飛び騒いでいた小鳥の群が、一羽黙り、二羽黙り、がやがやとした楽しい鳴声が何時《いつ》の間にか沈まって行ったように、丁度そうした夕方が岸本の周囲へも来た。中にも、この手紙をくれた友人が中野の方へ新しい家を造って引移ってからというものは、ずっと声を潜めてしまった。ほんとに黙ってしまった。
読みかけた手紙を前に置いて、岸本は十四五年このかた変ることのない敬愛の情を寄せたこの友人に自分の生涯を比べて見た。
二
岸本は更に読みつづけた。
「……郊外に居を
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