から一切《いっさい》を引《ひ》き受《う》けている父《とう》さんでも、その日《ひ》ばかりは全《まった》く父《とう》さんの畠《はたけ》にないことであった。男親《おとこおや》の悲《かな》しさには、父《とう》さんはそれ以上《いじょう》のことをお初《はつ》に尋《たず》ねることも出来《でき》なかった。
「もう何時《なんじ》だろう。」
と言《い》って父《とう》さんが茶《ちゃ》の間《ま》に掛《か》かっている柱時計《はしらどけい》を見《み》に来《き》た頃《ころ》は、その時計《とけい》の針《はり》が十|時《じ》を指《さ》していた。
「お昼《ひる》には兄《にい》さん達《たち》も帰《かえ》って来《く》るな。」と父《とう》さんは茶《ちゃ》の間《ま》のなかを見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《みまわ》して言《い》った。「お初《はつ》、お前《まえ》に頼《たの》んでおくがね、みんな学校《がっこう》から帰《かえ》って来《き》て聞《き》いたら、そう言《い》っておくれ――きょうは父《とう》さんが袖《そで》ちゃんを休《やす》ませたからッて――もしかしたら、すこし頭《あたま》が痛《いた》いからッて。」
 父《とう》さんは袖子《そでこ》の兄《にい》さん達《たち》が学校《がっこう》から帰《かえ》って来《く》る場合《ばあい》を予想《よそう》して、娘《むすめ》のためにいろいろ口実《こうじつ》を考《かんが》えた。
 昼《ひる》すこし前《まえ》にはもう二人《ふたり》の兄《にい》さんが前後《ぜんご》して威勢《いせい》よく帰《かえ》って来《き》た。一人《ひとり》の兄《にい》さんの方《ほう》は袖子《そでこ》の寝《ね》ているのを見《み》ると黙《だま》っていなかった。
「オイ、どうしたんだい。」
 その権幕《けんまく》に恐《おそ》れて、袖子《そでこ》は泣《な》き出《だ》したいばかりになった。そこへお初《はつ》が飛《と》んで来《き》て、いろいろ言《い》い訳《わけ》をしたが、何《なに》も知《し》らない兄《にい》さんは訳《わけ》の分《わ》からないという顔付《かおつ》きで、しきりに袖子《そでこ》を責《せ》めた。
「頭《あたま》が痛《いた》いぐらいで学校《がっこう》を休《やす》むなんて、そんな奴《やつ》があるかい。弱虫《よわむし》め。」
「まあ、そんなひどいことを言《い》って、」とお初《はつ》は兄《にい》さんをなだめるようにした
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