》さん、どうしたの。」
 最初《さいしょ》のうちこそお初《はつ》も不思議《ふしぎ》そうにしていたが、袖子《そでこ》から敷布《しきふ》を受《う》け取《と》ってみて、すぐにその意味《いみ》を読《よ》んだ。お初《はつ》は体格《たいかく》も大《おお》きく、力《ちから》もある女《おんな》であったから、袖子《そでこ》の震《ふる》えるからだへうしろから手《て》をかけて、半分《はんぶん》抱《だ》きかかえるように茶《ちゃ》の間《ま》の方《ほう》へ連《つ》れて行《い》った。その部屋《へや》の片隅《かたすみ》に袖子《そでこ》を寝《ね》かした。
「そんなに心配《しんぱい》しないでもいいんですよ。私《わたし》が好《よ》いようにしてあげるから――誰《だれ》でもあることなんだから――今日《きょう》は学校《がっこう》をお休《やす》みなさいね。」
とお初《はつ》は袖子《そでこ》の枕《まくら》もとで言《い》った。
 祖母《おばあ》さんもなく、母《かあ》さんもなく、誰《だれ》も言《い》って聞《き》かせるもののないような家庭《かてい》で、生《う》まれて初《はじ》めて袖子《そでこ》の経験《けいけん》するようなことが、思《おも》いがけない時《とき》にやって来《き》た。めったに学校《がっこう》を休《やす》んだことのない娘《むすめ》が、しかも受験前《じゅけんまえ》でいそがしがっている時《とき》であった。三|月《がつ》らしい春《はる》の朝日《あさひ》が茶《ちゃ》の間《ま》の障子《しょうじ》に射《さ》してくる頃《ころ》には、父《とう》さんは袖子《そでこ》を見《み》に来《き》た。その様子《ようす》をお初《はつ》に問《と》いたずねた。
「ええ、すこし……」
とお初《はつ》は曖昧《あいまい》な返事《へんじ》ばかりした。
 袖子《そでこ》は物《もの》も言《い》わずに寝苦《ねぐる》しがっていた。そこへ父《とう》さんが心配《しんぱい》して覗《のぞ》きに来《く》る度《たび》に、しまいにはお初《はつ》の方《ほう》でも隠《かく》しきれなかった。
「旦那《だんな》さん、袖子《そでこ》さんのは病気《びょうき》ではありません。」
 それを聞《き》くと、父《とう》さんは半信半疑《はんしんはんぎ》のままで、娘《むすめ》の側《そば》を離《はな》れた。日頃《ひごろ》母《かあ》さんの役《やく》まで兼《か》ねて着物《きもの》の世話《せわ》から何《なに》
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