ことが、言わず語らずの間に二人の胸を通り過ぎた。お富は無心な子供の顔をみまもりながら、
「お母さん、御覧なさい、この児はもうあの地震を覚えていないようですよ」
とお三輪に言って見せた。
そこはお三輪に取って彼女が両親の生れ故郷にあたる。そこには旧《ふる》い親戚の家もある。そこの古い寺の墓地には、親達の遺骨も分けて納めてある。埼玉気分をそそるような機場《はたば》の機の音も聞えて来ている。お三輪はほんの一時《いっとき》落ちつくつもりで伜の新七が借りてくれた家に最早一年も暮して来た。彼女は、お富や孫達を相手に、東京の方から来る好い便りを待ち暮した。
一年前の大きな出来事を想い起させるような同じ日の同じ時刻も、どうやら、無事に過ぎた。一しきりの沈黙の時が過ぎて、各自《めいめい》の無事を思う心がそれに変った。日頃台所にいて庖丁に親しむことの好きなお三輪は、こういう日にこそ伜や親戚を集め、自分の手作りにしたもので一緒に記念の食事でもしたいと思ったが、それも叶《かな》わなかった。親戚も多く散り散りばらばらだ。お三輪と同じように焼出された親戚の中には、東京の牛込へ、四谷へ、あるいは日暮里へと、落
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