れは立派なのが来ましたよ」
 お竹さんは番人の細君のことで、本家の小母さんとは小諸を出がけに私達にすこしは多く米を持って行けと注意してくれた人だ。W君はこの人達と懇意で、話し方も忸々《なれなれ》しい。
 米を入れた頭陀袋、牛肉の新聞紙包、それから一かけの半襟《はんえり》なぞが、土産《みやげ》がわりにそこへ取出された。
 番人は小屋へ入りがけに、
「肉には葱《ねぎ》が宜《よろ》しゅうごわしょうナア」
 と言うと、W君も笑って、
「ああ葱は結構」
「序《ついで》に、芋があったナア――そうだ、芋も入れるか」と番人は屋外《そと》へ出て行って、葱、芋の貯えたのを持って来た。やがて炉辺へドッカと座り、ぶすぶす煙る雑木を大火箸《おおひばし》であらけ、ぱっと燃え付いたところへ櫟《くぬぎ》の枝を折りくべた。火勢が盛んに成ると、皆なの顔も赤々と見えた。
 番人はまだ年も若く、前の年の四月にここへ引移って、五月に細君を迎えたという。火に映る顔は健《すこや》かに輝き眼は小さいけれど正直な働き好きな性質を表していた。話をしては大きく口を開いて、頭を振り、舌の見える程に笑うのが癖のようだ。その笑い方はすこし無作法ではあるが、包み隠しの無いところは嫌味《いやみ》の無い面白い若者だ。直《すぐ》に懇意に成れそうな人だ。細君はまた評判の働き者で、顔色の赤い、髪の厚く黒い、どこかにまだ娘らしいところの残った、若く肥った女だ。まことに似合った好い若夫婦だ。
 部屋の方は暗いランプに照らされていて、炉辺のみ明るく見えた。小屋の庭の隅《すみ》には竃《かまど》が置いてあって、そこから煙が登り始めた。飯をたく音も聞えて来た。細君はザクザクと葱を切りながら、
「私は幼少《ちいさ》い時から寂《さみ》しいところに育ちやしたが、この山へ来て慣れるまでには、真実《ほんと》に寂しい思をいたしやした」
 こう山住《やまずみ》の話をして聞かせる。亭主も私達が訪ねて来たことを嬉しそうに、その年作ったという葱の出来などを話し聞かせて夫婦して夕飯の仕度をしてくれた。炉には馬に食わせるとかの馬鈴薯《じゃがいも》を煮る大鍋が掛けてあったが、それが小鍋に取替えられた。細君が芋を入れれば、亭主はその上へ蓋《ふた》を載せる。私達は「手鍋提げても」という俗謡《うた》にあるような生活を眼《ま》のあたり見た。
 小猫は肉の香を嗅ぎつけて新聞紙包の傍《そば》へ鼻を押しつけ、亭主に叱《しか》られた。やがて私達の後を廻って遠慮なくW君の膝に上った。「野郎」と復た亭主に叱られて炉辺に縮み、寒そうに火を眺めて目を細くした。
「私はこの猫という奴が大嫌《だいきら》いですが、本家でもって無理に貰ってくれッて、連れて来やした」
 と亭主は言って、色の黒い野鼠がこの小屋へ来ていたずらすることなど、山の中らしい話をして笑った。
「すこし煙《けむっ》たくなって来たナア。開けるか」とW君は起上って、細目に小屋の障子を開けた。しばらく屋外《そと》を眺めて立っていた。
「ああ好い月だ、冴《さ》え冴えとして」
 と言いながらこの同僚が座に戻る頃は、鍋から白い泡《あわ》を吹いて、湯気も立のぼった。
「さア、もういいよ」
「肉を入れて下さい」
「どれ入れるかナ。一寸待てよ、芋を見て――」
 亭主は貝匙《かいさじ》で芋を一つ掬《すく》った。それを鍋蓋の上に載せて、いくつかに割って見た。芋は肉を入れても可い程に煮えた。そこで新聞紙包が解かれ、竹の皮が開かれた。赤々とした牛《ぎゅう》の肉のすこし白い脂肪《あぶら》も混ったのを、亭主は箸で鍋の中に入れた。
「どうも甘《うま》そうな匂《にお》いがする。こんな御土産なら毎日でも頂きたい」と亭主がW君に言った。
 細君は戸棚《とだな》から、膳《ぜん》、茶碗《ちゃわん》、塗箸《ぬりばし》などを取出し、飯は直に釜から盛って出した。
「どうしやすか、この炉辺の方がめずらしくて好うごわしょう」
 と細君に言われて、私達は焚火を眺め眺め、夕飯を始めた。その時は余程空腹を感じていた。
「さア、肉も煮えやした」と細君は給仕しながら款待顔《もてなしがお》に言った。
「お竹さん、勘定して下さい、沢山頂きますから」とW君も心易い調子で、「うまい、この葱はうまい。熱《あつ》、熱。フウフウ」
「どうも寒い時は肉に限りますナア」と亭主は一緒にやった。
 三杯ほど肉の汁をかえて、私も盛んな食欲を満たした。私達二人は帯をゆるめるやら、洋服のズボンをゆるめるやらした。
「さア、おかえなすって――山へ来て御飯《おまんま》がまずいなんて仰《おっしゃ》る方はありませんよ」
 と細君が言ううち、つとW君の前にあった茶碗を引きたくった。W君はあわてて、奪い返そうとするように手を延ばしたが、間に合わなかった。細君はまた一ぱい飯を盛って勧めた。
 W君は
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