が居る。すこし行くと、カステラや羊羹《ようかん》を店頭《みせさき》に並べて売る菓子屋の夫婦が居る。千曲川の方から投網《とあみ》をさげてよく帰って来る髪の長い売卜者《えきしゃ》が居る。馬場裏を出はずれて、三の門という古い城門のみが残った大手の通へ出ると、紺暖簾《こんのれん》を軒先に掛けた染物屋の人達が居る。それを右に見て鹿島神社の方へ行けば、按摩《あんま》を渡世にする頭を円《まる》めた盲人《めくら》が居る。駒鳥《こまどり》だの瑠璃《るり》だのその他小鳥が籠《かご》の中で囀《さえず》っている間から、人の好さそうな顔を出す鳥屋の隠居が居る。その先に一ぜんめしの揚羽屋がある。
揚羽屋では豆腐を造るから、服装《なりふり》に関わず働く内儀《かみ》さんがよく荷を担《かつ》いで、襦袢《じゅばん》の袖で顔の汗を拭き拭き町を売って歩く。朝晩の空に徹《とお》る声を聞くと、アア豆腐屋の内儀さんだと直《すぐ》に分る。自分の家でもこの女から油揚《あぶらあげ》だの雁《がん》もどきだのを買う。近頃は子息《むすこ》も大きく成って、母親《おっか》さんの代りに荷を担いで来て、ハチハイでも奴《やっこ》でもトントンとやるように成った。
揚羽屋には、うどんもある。尤《もっと》も乾うどんのうでたのだ。一体にこの辺では麺《めん》類を賞美する。私はある農家で一週に一度ずつ上等の晩餐《ばんさん》に麺類を用うるという家を知っている。蕎麦《そば》はもとより名物だ。酒盛の後の蕎麦振舞と言えば本式の馳走《ちそう》に成っている。それから、「お煮掛《にかけ》」と称えて、手製のうどんに野菜を入れて煮たのも、常食に用いられる。揚羽屋へ寄って、大鍋《おおなべ》のかけてある炉辺《ろばた》に腰掛けて、煙の目にしみるような盛んな焚火にあたっていると、私はよく人々が土足のままでそこに集りながら好物のうでだしうどんに温熱《あたたかさ》を取るのを見かける。「お豆腐のたきたては奈何《いかが》でごわす」などと言って、内儀さんが大丼《おおどんぶり》に熱い豆腐の露を盛って出す。亭主も手拭を腰にブラサゲて出て来て、自分の子息が子供|相撲《ずもう》に弓を取った自慢話なぞを始める。
そこは下層の労働者、馬方、近在の小百姓なぞが、酒を温めて貰うところだ。こういう暗い屋根の下も、煤《すす》けた壁も、汚《よご》れた人々の顔も、それほど私には苦に成らなく成った。
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