学校の帰路《かえりみち》に、鉄道の踏切を越えた石垣の下のところで、私は少年の群に逢った。色の黒い、二本棒の下った、藁草履《わらぞうり》を穿《は》いた子供等で、中には素足のまま土を踏んでいるのもある。「野郎」、「この野郎」、と互に顔を引掻《ひっか》きながら、相撲《すもう》を取って遊んでいた。
何処《どこ》の子供も一種の俳優《やくしゃ》だ。私という見物がそこに立って眺《なが》めると、彼等は一層調子づいた。これ見よがしに危い石垣の上へ登るのもあれば、「怪我しるぞ」と下に居て呼ぶのもある。その中で、体躯《なり》の小な子供に何歳《いくつ》に成るかと聞いてみた。
「おら、五歳《いつつ》」とその子供が答えた。
水車小屋の向うの方で、他の少年の群らしい声がした。そこに遊んでいた子供の中には、それを聞きつけて、急に馳出《かけだ》すのもあった。
「来ねえか、この野郎――ホラ、手を引かれろ」
とさすがに兄らしいのが、年下《としした》の子供の手を助けるように引いた。
「やい、米でも食《くら》え」
こんなことを言って、いきなり其処《そこ》にある草を毟《むし》って、朋輩《ほうばい》の口の中へ捻込《ねじこ》むのもあった。
すると、片方《かたっぽう》も黙ってはいない。覚えておれと言わないばかりに、「この野郎」と叫んだ。
「畜生!」一方は軽蔑《けいべつ》した調子で。
「ナニ? この野郎」片方は石を拾って投げつける。
「いやだいやだ」
と笑いながら逃げて行く子供を、片方は棒を持って追馳《おっか》けた。乳呑児《ちのみご》を背負《おぶ》ったまま、その後を追って行くのもあった。
君、こういう光景《ありさま》を私は学校の往還《ゆきかえり》に毎日のように目撃する。どうかすると、大人が子供をめがけて、石を振上げて、「野郎――殺してくれるぞ」などと戯れるのを見ることもある。これが、君、大人と子供の間に極く無邪気に、笑いながら交換《とりかわ》される言葉である。
東京の下町の空気の中に成長した君なぞに、この光景《ありさま》を見せたら、何と言うだろう。野蛮に相違ない。しかし、君、その野蛮は、疲れた旅人の官能に活気と刺戟《しげき》とを与えるような性質のものだ。
麦畠
青い野面《のら》には蒸すような光が満ちている。彼方此方《あちこち》の畠|側《わき》にある樹木も活々《いきいき》とした新葉
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