むすこ》のことも、大塚さんの胸に浮んだ。大塚さんは全く子が無いでは無い。一人ある。しかも今では音信不通な人に成っている。その人は大塚さんがずっと若い時に出来た子息で、体格は父に似て大きい方だった。背なぞは父ほどあった。大塚さんがこの子息におせんを紹介した時は、若い母の方が反って年少《としした》だった。
 湯島の家の方で親子|揃《そろ》って食った時のことが浮んで来た。この同じ食卓があの以前の住居《すまい》に置いてある。青蓋《あおがさ》の洋燈《ランプ》が照している。そこには嫁《かたづ》いて来たばかりのおせんが居る。彼女のことを「おせんさん、おせんさん」と親しげには呼んでも、決して「母親《おっか》さん」とは言わなかった彼の子息が居る……尤も、その頃から次第に子息は家へ寄付かなく成って行ったかとも思われる。

 食事の済む頃に、婆さんは香ばしく入れた茶と、干葡萄《ほしぶどう》を小皿に盛って持って来て、食卓の上に置いた。それを主人に勧めながら、お針に来ている婦《おんな》の置いて行ったという話をした。
「あの人がそう申しますんですよ。是方《こちら》の旦那様も奥様を探して被入《いら》しゃる御様子ですが、丁度好さそうな人が御座いますとかッて。聞き込んだ筋が好いそうでして……なんでも御家は御寺様だそうで御座いますよ……その方はあんまり御家の格が好いものですから、それで反って御嫁に行き損《そこな》って御了いなすったとか。学問は御有んなさるし、立派な御方なんだそうで御座います。御年は四十位だとか申しました。まだ御独身《おひとり》で。よく華族様方の御嬢様なぞにも、そういう風で、年をとって御了いなさる方が御有んなさいますそうですよ……それからあの人が、丁度あの位の奥様が御為にも宜しかろうかッて、そう申してますよ……尤も、こればかりは御縁で御座いますから」
 こういう話を聞く度に、大塚さんは耳を塞《ふさ》ぎたかった。
 おせんのような妻と一緒に住むような日は、最早二度と無かろうか。それを思うと、銀座で逢った人が余計に大塚さんの眼前《めのまえ》に彷彿《ちらつ》いた。黄ばんだ柳の花を通して見た彼女――仮令《たとえ》一目でもそれが精《くわ》しく細かく見たよりは、何となく彼女の沈着《おちつ》いて来たことや、自然に身体の出来て来たことや、それから全体としての女らしい姿勢を、反ってよく思い浮べることが出来た。
 その晩、大塚さんは自分の臥《ね》たり起きたりする部屋に籠《こも》って、そこに彼女を探して見た。戸棚から、用箪笥から、古い手紙の中までも探した。彼女が夫に宛てて書いたということは極く稀《まれ》だった。それすら何処《どこ》かへ散じて了った。
 刺繍が出て来た。彼女の手縫にしたものだ。好い記念だ。紅い薔薇の花弁《はなびら》が彼女の口唇《くちびる》を思わせるように出来ている。大塚さんはそれを自分の顔に押宛て押宛てして見た。
 温暖《あたたか》い晩だ。この陽気では庭の花ざかりも近い。復た夜が明けてからの日光も思いやられる。光と熱――それはすべての生物の願いだ。とは言いながら、婆さんでも、マルでも、事実それを楽むことは薄らいで来た。周囲《あたり》のものは皆な老い行く。そういう中で、大塚さん独りはますます若くなって行った……



底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年2月15日初版発行
   1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅邪鬼
校正:菅野朋子
2000年5月20日公開
2005年12月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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