た。
その晩、大塚さんは自分の臥《ね》たり起きたりする部屋に籠《こも》って、そこに彼女を探して見た。戸棚から、用箪笥から、古い手紙の中までも探した。彼女が夫に宛てて書いたということは極く稀《まれ》だった。それすら何処《どこ》かへ散じて了った。
刺繍が出て来た。彼女の手縫にしたものだ。好い記念だ。紅い薔薇の花弁《はなびら》が彼女の口唇《くちびる》を思わせるように出来ている。大塚さんはそれを自分の顔に押宛て押宛てして見た。
温暖《あたたか》い晩だ。この陽気では庭の花ざかりも近い。復た夜が明けてからの日光も思いやられる。光と熱――それはすべての生物の願いだ。とは言いながら、婆さんでも、マルでも、事実それを楽むことは薄らいで来た。周囲《あたり》のものは皆な老い行く。そういう中で、大塚さん独りはますます若くなって行った……
底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
1969(昭和44)年2月15日初版発行
1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅邪鬼
校正:菅野朋子
2000年5月20日公開
2005年12月26日修正
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