雨を含んだ蒸暑い空氣の中を乘つて、一面に桑畑を望むことの出來るやうな平坦な地勢へと降りて行つた。日本海の方面をさして、北へ/\と出て行く旅心地も好い。私達の見て行つた圓山川も、出石川を併せてからは、名も豐岡川と改まつて、次第に河幅も廣い。柳行李の産地として名高いと聞く豐岡の町がその河のほとりにあつた。
 豐岡まで乘つて行つて、新築の家屋にまじつた、バラツク風の建物、トタンぶきの屋根なぞ多く見た時は、私達もハツと思つた。過ぐる年の新聞紙上の記事で讀み、網板《あみばん》の插畫でも見た城崎地方の震災直後の慘状が、その時私の胸に浮んだ。
「御覽、たしかにこの邊は震災の跡だよ。」と私は連れにいつて見せて、當時の災害が豐岡の町あたりまでもおよんだことを知つた。
 玄武洞《げんぶどう》の驛まで行くと、城崎も近かつた。越えて來た山々も、遠くうしろになつて、豐岡川の水はゆるく眼の前を流れてゐた。湖水を望むやうな岸のほとりには、青々とした水草の茂みが多く、河には小舟をさへ見るやうになつた。間もなく私達は震災後の建物らしい停車場に着いて、眼に觸れるもの皆新規まき直しであるやうな温泉地の町の中に自分等を見つけ
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