そりやあお附合で、稀に食ふこともありますがね。どうも後で氣持が惡い。」
 この人にいはせると、さういふ昔からの習慣が單に無邪氣な傳説から來てゐるのではなく、あの事代主《ことしろぬし》の神が鷄の鳴聲に欺《だまか》されて、身を危ふくするところであつたといふやうなお伽話からでもなく、實は出雲民族に取つて忘れられない國讓りの日を記念するためであらうとのことであつた。遠い古代のことは想像も及ばない。今はたゞこの地方に遺つてゐる習慣や風俗のみが歴史的な事實を語るかに見えた。
 やがて鯛の潮煮などがテエブルの上に運ばれた。野村君は上手な手付で、それを皿に取つてみんなの前に出した。船で味はふ新鮮な魚の手料理もうまかつた。このもてなしには、古川君も鷄二も船醉ひを忘れたらしい。
 私達の乘つて行つた岡田丸は、海そうめん、若布《わかめ》などの乾してある海岸の岩の見えるところへ出た。かなたの岩の上には、魚見小屋も見えて來た。船で鳴らす寄港の合圖が港の空高く響き渡ると、小さな盥に乘つて悦ばしさうにこちらへ近づいて來る二人の子供などもあつた。そこは惣津《そうつ》といふ漁村で、隔日に通《かよ》つて來る岡田丸でも待つ
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