切つた筋肉や神經までも清く新たにするやうな日光と海風とが身に浸《し》み渡るのを覺えた。
鯨ヶ浦を過ぎ、雲津を過ぎた。七類《なゝしき》といふ漁村を過ぐるころ、岸の方に立つ田舍めいた白い旗を望んだ。それは岡田丸の寄港を求める相圖の旗であるとか。その日は船の都合で七類へは寄らなかつた。
船員は船の上から挨拶でもして通るやうに、
「素通り、素通り。」
この調子だ。岡田丸では、舳に立つ老船長が自分で舵機をとつて、舵夫の代理までも勤めてゐるが、それが却つて心易い感じを乘客に與へた。何となく旅の私達まで氣も暢《の》び/\として來た。
いつの間にか同行の古川君の顏が甲板の上に見えなかつた。同君も船に慣れないかして、船室の方へ休みに降りて行つたらしい。そのうちに、鷄二もうつとりとした眼付をして海の方を眺めてゐるやうになつた。
「どうしたい。」
「なんだか僕もすこし怪しくなつた。」
「こんなおだやかな海で醉ふやうなことぢや、船には乘れないな。」
私は渡邊君から分けて貰つた仁丹などを鷄二に服《の》ませ、少し甲板の上を歩いて見ることを勸めた。
この海岸は諸喰《もろくひ》から大崎の鼻までを東金剛《
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