掬《とつか》の劒を拔いて逆さまに刺し立て、その劒の前に趺坐《あぐら》をかいて、國讓りの談判を迫られたといふ時、大國主の神がひそかに使者を小舟に乘せて助言を求めたのも、美保にある事代主の神の許であつたといひ傳へられてゐる。私達はこの劇的光景を遠く想像させるやうな小舟の前で、しばらく旅の時を送つた。
名高い五本松のある山は、美保神社からいくらも離れてゐない。青く深い海水に臨んで、軒を列ねた水樓の屋根が、その傾斜の位置から眼の下に見おろされる。港に浮かぶ船舶のさまも、明るい繪のやうに美しい。おそらく美保の町長が私達に見せたかつたのは、故大町桂月君が「大天橋」と呼んだといふ夜見《よみ》ヶ濱から遠く伯耆の大山へかけての眺望であつたらうが、私はむしろその傾斜から見おろした美保の關の港の眺めを取る。昔は航海者の標的であつたといふ五本松のふもとには、一軒の休茶屋もあつた。そこで味はふ茶もうまかつた。晝食の時刻には、私達は山から下りて、春畝《しゆんぽ》山人の額などの掛つた美保館の座敷で、先づ汗をふいた。
十 出雲浦海岸
同じ日の午後。
境の港から私達を乘せて來た岡田丸は、美保の關での荷
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