がうとして、鰐のためにその足を噛まれた。これがそも/\鷄を忌むやうになつた事の起りとされてゐる。一説には神の愛するものが米子の方にあつて、夜明を告ぐる鷄のために果敢《はか》ない逢瀬をさまたげられた爲であるともいふ。いづれにしても、こんな逸話を後世までも殘したといふところに、この神の神らしさがある。誰でも親しめさうな神である。そこいらの岩の上に腰かけて、餘念もなく釣竿を垂れてゐさうな神である。これほど優しい神が、百姓や漁師や商人の友達であるのは不思議もない。あの福々しい笑顏を崩したこともないやうな親しみ易い神が、無數の老若男女から親のやうに慕はれるといふことにも、不思議はない。
 果して、私達の乘つて行つた岡田丸が美保の關の港に着いて見ると、その邊に見つける船といふ船は、美保神社の參詣者の群で一ぱいに溢れてゐた。參拜記念の旗なぞを押し立てた船も眼についた。
 こゝへ來て見ると、稻佐《いなさ》の濱での國讓りも、語り古された故事である。一艘の古い小舟の模型がその記念として、美保神社の境内に安置してあつた。「いな」(否)か「さ」(應)か、それは稻佐といふ言葉の意味であると聞くが、そこの濱邊に十
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