、こゝの人達の話を聞いて見た? 出雲なまりといふやつは隨分變つてるね。僕が舟の中でスケツチしてゐると、通る船頭が二人で話してゐたが、何をいふかさつぱり分らなかつた。」
と鷄二はいつてゐた。見ると、岸に繋いだ小舟から薪を背負つて、宿の勝手口の方へと運んで行く男もある。その男は背に小蓑をあててゐる。鷄二はそれを私に指して見せて、
「父さん、御覽。僕等の國の方では『せいた』を使ふが、こちらの人はあんな藁の紐で背負つて行くよ。遠いところは、とてもあんなことぢや駄目だがなあ。」
こんな比較を語つた。薪の背負ひ方にかぎらず、關東を見た眼でこの地方を見ると、いろ/\な相違を見つけることも多かつた。櫓の綱の長く、櫓壺の淺く、櫓ちんの割合にはづれ易く見えるなぞもその一つだつた。この邊の人の小舟の漕ぎ方は上海あたりのジヤンクを私に思ひ出させた。
その日は舊い暦の上での十六日に當つた。私は遠く離れて來てゐる東京の留守宅のことを胸に浮かべて、ことしの盆はどうしたらうなぞと思ひやつた。夕方には、大橋の方の柳の枝のかげあたりから、提燈のやうな大きな月が上つた。
九 境港と美保《みほ》の關《せき》
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