貰つたはよかつたが、どうにもくすぐつたく、自分の内股をつねつて漸くそれを我慢したことなぞを白状して、私を笑はせた。
この松江へ來るまでの途中での旅の印象、そこで望んで來た入江の水、そこで望んで來た岸の青田なぞは、まだ私の眼にあつた。その中には恐ろしいまでに龜裂を生じた田もあつて、あれはことしの旱《ひで》り續きの結果か、いや、あれが鹽田といふものか、と汽車中の乘客が大騷ぎしたことも忘れられない。松江に來て見て、この地方にも田植時分の雨の少なかつたことを知つた。こんな水郷の感じのするところで、どうして水に不自由したらう。それを私が宿の女中にたづねたら、
「水は水でも、潮水でございますもの。」
それが女中の返事であつた。農夫等は水を見ながら、乾いた田をどうすることも出來なかつたといふ。さういふ田は今年だけ畑にして、また來年の田植の時を待つといふことであつた。
私達親子のものは、めつたにこんな旅を一緒にしたこともない。二人きりとなると、互ひの旅の心持も比べて見たい。
「御覽な、どこの宿屋へ行つても二の膳付だぜ。御馳走して貰ふのはありがたいが、みんな食べられるやうな物を出したらどうだらう。
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