て伯耆《はうき》に入つたころは、また夕立がやつて來た。暗い空、黒い日本海。車窓のガラスに映る水平線のかなたには僅に空の晴れたところも望まれたが、やがて海へも雨が來た。私達は上井《あげゐ》の停車場で一旦汽車から降りて、三朝《みささ》行の自動車に乘りかへた。濱村温泉といひ、東郷温泉といひ、これから私達が訪ねてゆかうとしてゐた三朝温泉といひ、この附近には至るところに好い温泉地のあることも思はれる。
雨を衝いて二里ばかりの道を乘つていつた。次第に山も深い。川がある。橋がある。三朝川は私達の沿うて上つて行つた溪流だが、いつの間にか河上の方から流れてくる赤く濁つた水を見た。
三朝川は前を流れてゐた。私達は三朝温泉の岩崎といふ旅館に一夜を送り、七月十三日の朝を迎へて、宿の二階の廊下のところへ籐椅子なぞを持ち出しながら、しばらく對岸の眺望を樂しんで行かうとした。雨もあがつて、山氣は一層旅の身にしみた。河の中洲を越すほど溢れてゐた水もいつの間にか元の瀬にかへつた。こゝで聽く溪流の音はいかにも山間の温泉地らしい思ひをさせる。河鹿の鳴聲もすゞしい。ゆふべは私は宿の女中の持つて來て見せた書畫帖の中に、田
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