庇、低い二階の窓、どうかすると、石や横木を載せた屋根の見られるのは、冬期の長さも思ひやられる。私は北は信州の飯山《いひやま》あたりまでしか行かないから、越後路のことは知らないが、こゝも雪は深さうだ。
 宿に歸つて見ると、こゝの中學校の先生が一册の本を屆けてくれた。「郷土讀本」としてある標題のもので名刺も添へてある。その名刺の裏には、「わざとお目にはかゝらないが、私達の郷土をよく見て行つて下さい」といふ意味のことが書いてあつた。この註文は容易でない。さういふ私は訪ねて見たいと思ふ學校も訪ねず、古い尚徳館の跡も見ずじまひに歸つても、歌人香川景樹を生んだといふこの土地に來て見て、旅の疲れを休めて行くといふだけでも、澤山だと思つた。

 私達の泊つた鳥取の宿は古いといへば古い家で、煙草盆は古風な手提げのついたのだし、大きな菓子鉢には朱色の扇形の箸入を添へてだすやうな宿ではあつたけれど、わざとらしいところは少しもなく、客扱ひも親切で、氣樂なところが好《よ》かつた。膳に向つて見ると、食器もすべて大切に保存されたやうな器ばかり。すゞしさうなガラスの皿に鮎の鹽燒をのせてだしたのも夏らしい。こゝの料理は
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