海邊の空氣と日光と潮風とをこひしく思つた。それほど私は海にも餓ゑてゐた。
 發動機船の用意が出來た。私達は栗村君のほかに、鳥取から見えた岡田君とも一緒になつた。この岡田君には、土地を案内してもらへといつて、大阪を出る時に紹介の名刺をもらつて來た人だ。鳥取までゆかないうちに、私達は岡田君を見ることが出來たわけだ。その日は二人の大學生とも一緒であつた。一人は栗村君の子息さんで、一人はその學友であるといふ。年若で支度ざかりの好い青年達だ。やがて一同船に乘らうとして海邊にある黄ばんだ砂を踏んでいつた。その邊には鰯網などが干してあつた。渚《なぎさ》のさまも、湘南地方あたりに思ひ比べると、餘程變つて見える。こゝには、自然の胸の鼓動を聞くやうな大きな波の音が、間を置いては響けてくるといふ風でない。今はこの海岸の夏らしい時だ。青い海を渡つて來る南風が私達の顏を撫でて通るやうな時だ。全く靜かだ。私達は岸近くあらはれてゐる岩石の間をつたつて順に一人づつ船に移つた。
 栗村君は、曾つて詩人|國府犀東《こくぶさいとう》氏をこの浦富に迎へ地質に精しいなにがし大學の教授をも迎へた時のことを私に話し、この附近に多い
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