學者、故人としては森鴎外漁史、島村抱月君、現存の人としては中村吉藏君などの仕事を結びつけて考へて見ることもおもしろい。たしか加藤朝鳥君も石見生れの人のやうに聞いてゐるが、もしさうだとすれば猶々おもしろい。まだこの外に私などの知らない人もあるかも知れない。
 青原といふ驛を過ぎた。河の流れに膝ほど深く入つて鮎を釣る人も見かけた。津和野に近づけば近づくほど汽車の窓から見て行く水も谿流のさまに變つて來て、川の中には石もあらはれるやうになつた。木曾あたりのことに思ひ比べるとこの邊の谿はそれほど深くない。でも山地深く進んで行くことを思はせた。
 津和野は長州の境に近い小都會である。そこまで行つて、夜汽車で津和野をたち、山口を經て周防の小郡《をごほり》に出れば、私達も最初の豫定通り山陽線を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて歸ることが出來る。津和野に着いたころは、まだそこいらは明るかつた。私達は山陰の旅の終にと思つて小郡行の夜汽車が出るまでの僅かの時間をそこに送つて行かうとした。
 思ひがけない土地の人達が、この私達親子のものを待つてゐてくれた。津和野の町長望月君は私達に見物させる獻立ま
前へ 次へ
全110ページ中107ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング