この龜井君、大谷君、その他の人達にも別れを告げて、やがて私達は益田を離れた。高津山に沿うて、横田といふ驛を過ぎた。大田、濱田、津田、益田、横田、これまで經て來た驛の名を數へても田といふ名の町々も多い。私も、石見までやつて來てよかつたと思つた。思ひのほか、この地方の旅は樂しい。もしこれが、東京から三百里近くも離れてゐないで、もつと來易いところであつたら、香住の大乘寺それから松江の菅田庵あたりは、もつと知られていゝ場處だと思つて見て來たが、益田の醫光寺と萬福寺を訪ねた時は一層その感じが深かつた。あの雪舟の遺した庭なぞは山陰道にあるものの中で、最も美しいものの一つであらう。
大阪からこゝまでやつて來た思ひをすれば、長州の萩の港までは、もうそんなに遠くないやうな氣もする。萩の町とは、吉田松陰はじめ明治維新の先覺者に縁故の深かつた土地と聞く。さういふ近い隣國の影響をこの石見地方に結びつけて考へて見ることもおもしろい。眞淵の言葉を借りていふなら、荒魂《あらたま》和魂《にぎたま》雙《ふた》つながら兼ね具はならないところのない人麿のやうな大きな詩人のたましひを生みつけた山陰の西部に、明治年代からの文
前へ
次へ
全110ページ中106ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング