と線とを見つけるのもめづらしい。
上夜久野の驛を過ぎて、但馬《たじま》の國に入つた。攝津《せつつ》から丹波《たんば》、丹波から丹後といふ風に、私達は三つの國のうちを通り過ぎて、但馬の和田山についた。そこは播但線《ばんたんせん》の交叉點にもあたる。案内記によると、和田山はもと播磨《はりま》ざかひの生野《いくの》から出石《いづし》、豐岡《とよをか》方面へ出る街道中の一小驛にとゞまつてゐたが、汽車が開通してからだん/\開けて、今では立派な市街になりつゝあるといふ。汽車はそのあたりから圓山川の流れに添うて、傾斜の多い地勢を次第に下つて行つた。養父といふ驛を過ぎて、變つた地名の多いにも驚く。
「こゝにもむづかしい名がある。八つの鹿と書いて、(やをか)ださうだ。――讀めないね。」
私達はこんなことを語り合ひながら乘つて行つた。
やがて遠く近く望む山々の上には、灰色の雲が垂れさがつて來た。滿山の翠《みどり》は息をはずませて、今に降つてくるか今に降つてくるか、と待ち受けるかのやうでもあつた。低い雲はいよいよ低く、いつの間にか容《すがた》を隱す山々もある。かなたには驟雨も來てゐたらしい。私達はその雨を含んだ蒸暑い空氣の中を乘つて、一面に桑畑を望むことの出來るやうな平坦な地勢へと降りて行つた。日本海の方面をさして、北へ/\と出て行く旅心地も好い。私達の見て行つた圓山川も、出石川を併せてからは、名も豐岡川と改まつて、次第に河幅も廣い。柳行李の産地として名高いと聞く豐岡の町がその河のほとりにあつた。
豐岡まで乘つて行つて、新築の家屋にまじつた、バラツク風の建物、トタンぶきの屋根なぞ多く見た時は、私達もハツと思つた。過ぐる年の新聞紙上の記事で讀み、網板《あみばん》の插畫でも見た城崎地方の震災直後の慘状が、その時私の胸に浮んだ。
「御覽、たしかにこの邊は震災の跡だよ。」と私は連れにいつて見せて、當時の災害が豐岡の町あたりまでもおよんだことを知つた。
玄武洞《げんぶどう》の驛まで行くと、城崎も近かつた。越えて來た山々も、遠くうしろになつて、豐岡川の水はゆるく眼の前を流れてゐた。湖水を望むやうな岸のほとりには、青々とした水草の茂みが多く、河には小舟をさへ見るやうになつた。間もなく私達は震災後の建物らしい停車場に着いて、眼に觸れるもの皆新規まき直しであるやうな温泉地の町の中に自分等を見つけた。そこが城崎《きのさき》であつた。
何よりもまづ私達の願ひは好い宿について、大阪から城崎まで七時間も、汽車に搖《ゆ》られつゞけて行つた自分等の靴のひもを解くことであつた。一日の旅で、私達のはだ身につけるものはひどい汗になつた。夏帽子の裏までぬれた。私も鷄二も城崎の宿の二階に上つて、女中がすゝめてくれるさつぱりとした浴衣に着更へた時は、活《い》き返つたやうな心地を味はつた。
新しい木の香《か》のする宿の二階からは町の空が見える。そこはもう山陰の空だ。新築中の家々の望まれる方に行つて見た。そこにもこゝにも高く足場がかゝつて、木を削るかんなの音が聞えてくる。あちこちの二階のてすりに浴衣など干してあるのも温泉地らしい。工事小屋から立ち登る煙もその間に見えて、さかんな復興の氣象が周圍に滿ちあふれてゐた。
この温泉宿へ着く前に、私達は町の中央を流れる河の岸を歩いて、まだ燒けない前の、一の湯とか御所の湯とかいつた時分からの意匠を受けついだといふ建物や、新規に出來たらしい橋の意匠などを見て來た。多くの浴客がいり込む場所と見えて、軒をつらねた温泉宿の數も多い。震災前まではその數が五六十軒であつたのに、新築中のものがすつかり出來上つたら百軒にも上るであらうと聞く。停車場まで私達を出迎へに來てくれた宿の若主人からその話を聞いて、よくそれでもこんなに町の復興がはかどつたものだと私がいつて見たら、
「みんな一生懸命になりましたからね。この節はすこしだれて來ましたが、一頃の町の人達の意氣込といふものは、それはすさまじいものでしたよ。これまでに家のそろつたのも、そのおかげなんですね。」
と若主人は私にいつて見せた。
一時は全滅と傳へられたこの町が、震災當時の火煙につゝまれた光景も思ひやられる。河へはいつたものは助かつて、山へ駈け登つたものの多くは燒け死んだ。傾斜を走る火は人よりも速かつたといふ。宿の二階から望まれる裏山はそれらの人達が生命がけで逃れようとした跡かと見えておそろしい。そこには燒け殘つた樹木がまだそのまゝにあつて、芽も吹かずに、多くは立ち枯れとなつてゐるのも物すごく思はれた。
それにしても、私達が汽車の窓から見あきるほど見て來た丹波、丹後あたりの山道の長ければ長かつただけ、震災後一年ぐらゐしかならないこの復興最中の城崎に來て、激しい暑さと疲勞とを忘れさせるやうな樂しい
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