からするものとの落ち合つたところが、津和野の津和野らしい感じであつて、ちやうど眞水と潮水との混り合つた河口の趣に似てゐる。長州の方からさして來る潮はこゝで石見の眞水と合ふ。おそらくかうした土地柄にのみ見出さるゝものは、その邊の微妙な消息は、人の氣質にも、言葉にもあらはれてゐよう。私は自分の郷里が信濃の西のはづれにあつて、殆んど美濃に接近してゐるところから、かうした津和野のやうな土地柄には特別の興味を覺える。その意味から、こゝを鴎外漁史の生地と考へて見ることもおもしろい。
 自動車は町中のある家の前に停つた。そこには中學校の宮西君、小學校の村上君、その他の諸君が、夕飯の膳を用意して私達を待つてゐてくれた。實際、雲のやうにやつて來て、また雲のやうに離れて行かなければならなかつたとは私達のことである。
 私達は土地の人達と一緒に樂しい膳にむかつて、吸ひ物椀の蓋を取つて見たばかりのころに、最早小郡行の發車の時が迫つたことを聞いた。そこに集まつた中には、飮みかけた酒の盃を置いて停車場まで別れを告げに來てくれた人達もあつた。

「鷄ちやん、山一つ越すともう長門《ながと》の國ださうだよ。トンネルの内が石見の境ださうだよ。」
 私がそれを鷄二にいつてみせるころは、そこいらは眞暗であつた。動いて行く汽車の中からも窓の外に顏を出したが、黒い山の傾斜しか目に映らなかつた。私達はその夜の空氣に包まれながら、山陰地方から離れて行つた。



底本:「現代日本紀行文学全集 西日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「大阪朝日新聞」
   1927(昭和2)年7月〜9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「樂しからうと思った。」の「っ」は底本通りにしました。
※踊り字(/″\)の誤用は底本の通りとしました。
入力:林 幸雄
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年9月29日作成
2005年12月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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