る大谷君は私なぞよりずつと年の若い人だ。日露戰爭當時の記憶は、話す人よりも反つて話される私の方に濃いとは思つたが。
「いゝもんやろ、醫光寺の門やろ。」
この古い俚謠の殘つたところが、私達の指さして行つた寺の入口であつた。高くがつしりとした唐門の上には、額なぞも掛かつてゐて、雪舟の遺蹟にふさはしい。石段を上つたところにまた總門がある。ちやうど住職の留守の時で、私達は古い本堂の前手から庭づたひに僧坊の奧へ出た。苔蒸した築山と泉水との見えるところへ行つて立つた。
「これが雪舟の遺《のこ》した庭です。何かかう大きなものをつかんで、非常な力でそれを壓搾してあるやうに見えますが――」
かうした大谷君の言葉を聞くにつけても、私は行く先で逢ふ山陰地方の人達が、それ/″\住慣れた土地にあるものをよく見てゐるのに感心した。こゝへ來て見ると、靜かに隱れてゐるやうな庭の眺めが一切を忘れさせた。石の美もよく捉へてある。縱の面と横の面との兩樣の配置は、省けるだけを省いたもののやうに見える。誰もこの庭から石一つ除き去ることは出來まい。誰もまた、この庭に石一つ附け加へることも出來まい。積み重ね/\したところに潛んでゐるものは、深い立體的な感じを伴ふ。これは心の庭だ。遠い中世紀は、まだこんなところに殘つて、私達の眼の前に息づいてゐるかのやうでもあつた。
留守居する寺の人達が、茶なぞを勸めてくれるのもうれしくて、私達は住職の居間らしいところからもこの庭を眺めた。建物の内部も廣くて、古い十六羅漢の木像なぞを置き並べた部屋もあつた。
思はず時を送つた。同行の人達に促されてこゝを辭しかけると、本堂の前あたりの庭のところへ來て、挨拶する人に逢つた。大谷君のお父さんだ。息子さんの方は、あるひは年よりも老けて見えるし、お父さんの方は、また若々しくて、そこへ並んだところはちよつと親子のやうに思はれないくらゐだつた。
醫光山の上にある庵は慈善庵といつて、大谷君の祖父にあたる人の開基にかゝるといふ。こゝまで來たついでに、ぜひともその庵のあるところまで登れ、さういつて勸めてくれるのはお父さんだ。その時は龜井君とも醫光寺まで同道して來たが、同君が益田の驛長といふいそがしい職務の中で、いろ/\と私達を世話してくれるのはありがたかつた。龜井君は大谷君親子の言葉を引取つて、いかにもはつきりとした調子で、
「一生の願ひと
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