へて、庭石を踏むといふだけでも、何となく私達の心は改まつた。
私達の訪ねて行つたところは、この小山の上に立つ二棟の簡素な平屋を、庭もろとも一つの意匠に纏めたやうな場所であつた。客の休息所に宛てたお待屋の方には、雨傘ほどの大きさの笠が眼についた。雨に雪に、お待屋から茶の室の方へ通ふ客のためにあるものとみえて、細心な茶人の用意はそんなところにも窺はれる。茶室には二疊と四疊半との二部屋があつて、私達は先づ二疊の方の狹い窓のやうな入口から入つた。海邊の漁夫の寢るだけにあるような住居の入口から、こんな茶人の意匠が生れて來てゐるといふこともおもしろい。水屋を通つて、四疊半の方に出た。向月庵とした額の掛つた茶室がそこだ。私達は思ひ/\に、疊を敷いた縁《えん》のところにゐ、その外にある板敷の縁のところにもゐて、すゞしい蝉の聲に暑さを忘れた。庭に置いた石も省けるだけ省いて、庭先にある二本の古松と山々の眺めとを廣く取入れてある。山郭公《やまほとゝぎす》なども啼いて通りさうなところだ。こゝへ來て見ると、簡素を求めた昔の人の心が感じられる。私は不昧公のことをいふついでに、白河樂翁を引合に出したが、この比較は當つてゐないかも知れない。たゞ二人とも徳望のあつたといふ點でのみ、それがいへるかも知れない。藝術上の惠まれた天分にかけては、不昧公は遙に樂翁公の上にあらう。
有澤氏の山莊には、別に不昧公の意匠になつたといふ明々庵が他から移されてあつた。山の横手のところには、山櫻の多い谷を前にした小茶屋もあつた。樅《もみ》、松、楓などの外に、椎の木の多いことも樹蔭の道を樂しく見せてゐた。
松江の宿に歸つてからの私達はまた翌日の旅支度にいそがしかつた。松江には七月の十四日から十七日までゐた。旅の記念にと書き盡せないほどの色紙などを、この地方の人達からも持ち込まれ、宿の女中にまで何か書けとせがまれては、午後からも殆ど休むいとまがなかつた。成るべく手荷物も少くと思ふところから、白潟、母衣《ほろ》の二校から貰ひ受けて來た兒童の製作品、圖畫、作文、手工の竹の箸、それに松江土産の箱枕などは留守宅宛の小包にした。そこいらには、ある人々へ贈りたいと思つて取寄せた不昧公好みの煙草盆が殘つてゐた。それもこゝから荷造りして出すことにした。こんなに取りちらしてゐるところへ宿の女中が客のあることを知らせに來た。ずつと以前の同
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