方に生々《いき/\》とした海の躍るのを覺えた。
地藏崎《ぢざうざき》の白い燈臺が見えて來た。岬の端に、圓い屋根の燈臺の建物が立つのは、やがて織布のやうに長い島根半島の最北端であると知れた。山陰地方を旅するものが、陸から隱岐の島を望まうとするのも、その燈臺附近の位置からであらう。緑につゝまれた岩の鼻を離れると、際涯のない日本海の眺望がそこにひらけてゐた。
海から見て行く陸の感じもよい。岸に近く、海上にそばだつ無數の奇巖は、殆ど數へるにいとまがない。顯れた島。隱れた暗礁。その邊の岩石の間に生ずる名も知らないめづらしい草の微細なものから、青い潮の反射をうけて光る懸崖岸壁の巨大なものにいたるまで、そこには何ほどのものがあると言つて見ることも出來ない。しかしそれらの奇異な島々岩々よりも、むしろ行く先の岬のかげに隱れてゐるやうな港の方に私は多く心をひかれた。
出雲浦もおだやかな時であつた。渡邊君等の心づかひと見えて、甲板の中央にはテエブルを置き、その上に茶なぞを置いたのも樂しかつた。海の愛はまた私の心に活き返つて來た。私は幾年か前の外國の旅を思ひ出し、遠洋の航海の記憶を呼び起して、私達の疲れ切つた筋肉や神經までも清く新たにするやうな日光と海風とが身に浸《し》み渡るのを覺えた。
鯨ヶ浦を過ぎ、雲津を過ぎた。七類《なゝしき》といふ漁村を過ぐるころ、岸の方に立つ田舍めいた白い旗を望んだ。それは岡田丸の寄港を求める相圖の旗であるとか。その日は船の都合で七類へは寄らなかつた。
船員は船の上から挨拶でもして通るやうに、
「素通り、素通り。」
この調子だ。岡田丸では、舳に立つ老船長が自分で舵機をとつて、舵夫の代理までも勤めてゐるが、それが却つて心易い感じを乘客に與へた。何となく旅の私達まで氣も暢《の》び/\として來た。
いつの間にか同行の古川君の顏が甲板の上に見えなかつた。同君も船に慣れないかして、船室の方へ休みに降りて行つたらしい。そのうちに、鷄二もうつとりとした眼付をして海の方を眺めてゐるやうになつた。
「どうしたい。」
「なんだか僕もすこし怪しくなつた。」
「こんなおだやかな海で醉ふやうなことぢや、船には乘れないな。」
私は渡邊君から分けて貰つた仁丹などを鷄二に服《の》ませ、少し甲板の上を歩いて見ることを勸めた。
この海岸は諸喰《もろくひ》から大崎の鼻までを東金剛《
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