いといはれる花園がそんな入江の中に投げ出されてゐると考へて見ることも樂しかつた。
「これらの島は、水中に生じた濃緑の花園か何かのやうである。」といふあの言葉も思ひ出される。私達の乘つて行つた小蒸汽は白い泡を立て、波紋と渦とを描きながら、中江の瀬戸まで進んで行つて、境港の船着場のところで船體を横づけにした。私達のすぐ側には幾つかの籠に林檎やバナヽなどを積んだ三人ばかりの果物賣の女も乘つてゐた。果物の籠は殆んど私達の通り路を塞いだ。私達は果物賣りの女が上陸するのを待つて、飛び上るやうに陸の方へ移つた。
 かねて噂に聞いた境の港町は、米子《よなご》の方面から長く延びてゐる半島の突鼻《とつぱな》にあつて、岡山、米子間の鐵道が全通し、築港の計畫でも完成せらるゝ曉には、朝鮮、滿洲その他南支那への新しい交通の起點が更に一つ開けるであらうといはれるほど、希望に滿ちた位置にある。
「築港の設計所も、ついでに一つ見て行つて貰ひませう。」
 こんなことをいつて誘はれるまゝに、私達は築港設計所の建物のある小山の上にも登つて見た。そこは外國からやつて來る船を黒船といつた時代に、その外來の勢力を防ぐため舊鳥取藩で築いた臺場の跡であるとか。長さ二百五十間、幅二十間の埋立地をつくり、二百間あまりの岸壁を立て、總延長千六百間の餘にも及ぶ防波堤を築くために、五年間も一つの根氣仕事を續けて來たといふやうな、そんな辛抱強い人達が、その小山の上の土木出張所に働いてゐた。

 岡田汽船會社の岡田丸で、私達は境の港を離れようとした。その時は、古川君の外に、美保の關からわざ/″\出迎へに來てくれた野村君とも一緒になつた。
「私もお供をさして戴きませう。」
 といつて最後に甲板に上つて來たのは、會社側の渡邊君であつた。同行五六人のものがこんな風に甲板に集まつて、一緒に美保の關へ向つた。
 土地の事情に詳しい渡邊君と野村君とは、かはる/″\私の話し相手になつてくれた。境の港口から美保灣の方に見える工事中の防波堤を私に指して見せ、殆ど海中に幾何學的な線でも描いたやうなその堤が、北の方へ直角に折れ曲つたところなぞをも指して見せ、この工事が完成せらるゝ日には、千トン乃至二千トン級の數隻の船を同時に港口の岸壁に繋ぎ得るであらうこと、さういふ築港のあらましなぞを、世故《せこ》に長《た》けた調子で話し聞かせるのは渡邊君だ。船から
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