れたところで、私達はその話を神社の宮司からも、高津の町長隅崎君からも、そこまで同行した益田の大谷君からも聞いた。
 觀月亭は、この社頭に立つ東屋《あづまや》風の一小亭である。宮司に導かれて私達は松風の音の聞えて來るやうなところに腰掛けた。白い單衣に青い袴を着けた神官の候補者らしい人が山づたひに古い松の根を踏みながら、私達のところへ茶菓を運んで來てくれるのもめづらしかつた。參詣者も多いと見えて社殿の前の柱といふ柱には男や女の名前が一ぱいに書きつけてあつたが、それを押し止めもしないところに宮司の人柄も見えてゐた。いろ/\とよく話す人で古典にも親しみ、和歌の趨勢にも通じ、かうして職務にたづさはる中での新人と見えたが、高津の町の盛衰を一身に負はなければならないやうな宮司としての立場も容易ではないらしい。私達はその東屋の外をも歩いて、松林の間に青い空の見える東の方を望んだ。領巾振山がその方角に見えた。峯のかなたには白い雲も起つてゐた。青田つゞきの村落までも遠く見渡すことの出來るやうな西の方へも行つて立つて見た。高津川はそこに流れてゐた。
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石見《いはみ》のや高角山の木の間より我が振る袖を妹《いも》見つらむか
さゝの葉はみ山もさやにさやげども吾《あ》は妹おもふ別れ來ぬれば
青駒のあがきを速《はや》み雲居にぞ妹があたりを過ぎて來にける
秋山に落つるもみぢ葉しましくはな散りみだれそ妹があたり見む
鴨山のいは根しまける吾《われ》をかも知らにと妹が待ちつゝあらむ
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 これらの古歌を聯想させるやうな遠い昔の地勢は、どんなであつたらうか。今は鴨山もない。海嘯《つなみ》のために流沒したその一帶の地域からは、人工の加へられた木片、貝類、葦の根などの發掘せらるゝことがあるといふ。昔は一面の入江であつたといひ傳へられるところには、豐かな平野が私達の眼の前にひらけてゐた。この邊の周圍はそんなに變つてしまつた。私は高角山にある古い松の間をめぐりにめぐつて、一層立ち去りがたい思ひをした。
 青い海だけは、それでも變らずにあるのだらう。北の方にそれが望まれる。私はこの山陰の旅に來て、城崎に近い瀬戸の日和山から、先づ望んだのもその海であつたことを胸に浮かべて、これが最後に望んで行く日本海であらうとも思つた。大谷君は私の側に來て、沖の方にある一つの島を私に指さして
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