は静和《しづか》なる
深く悲しき声きけば
あゝ幽遠《かすか》なる気息《ためいき》に
天のうれひを紫の
野末の花に吹き残す
世の名残こそはかなけれ

  鶏《にはとり》

花によりそふ鶏の
夫《つま》よ妻鳥《めどり》よ燕子花《かきつばた》
いづれあやめとわきがたく
さも似つかしき風情《ふぜい》あり

姿やさしき牝鶏《めんどり》の
かたちを恥づるこゝろして
花に隠るゝありさまに
品かはりたる夫鳥《つまどり》や

雄々しくたけき雄鶏《をんどり》の
とさかの色も艶《えん》にして
黄なる口觜《くちばし》脚蹴爪《あしけづめ》
尾はしだり尾のなが/\し

問ふても見まし誰《た》がために
よそほひありく夫鳥《つまどり》よ
妻《つま》守《も》るためのかざりにと
いひたげなるぞいぢらしき

画にこそかけれ花鳥《はなどり》の
それにも通ふ一つがひ
霜に侘寝《わびね》の朝ぼらけ
雨に入日の夕まぐれ

空に一つの明星の
闇行く水に動くとき
日を迎へんと鶏の
夜《よる》の使《つかひ》を音《ね》にぞ鳴く

露けき朝の明けて行く
空のながめを誰《たれ》か知る
燃ゆるがごとき紅《くれなゐ》の
雲のゆくへを誰《たれ》か知る

闇もこれより隣なる
声ふりあげて鳴くときは
ひとの長眠《ねむり》のみなめざめ
夜は日に通ふ夢まくら

明けはなれたり夜はすでに
いざ妻鳥《つまどり》と巣を出《い》でて
餌《ゑ》をあさらんと野に行けば
あなあやにくのものを見き

見しらぬ鶏《とり》の音《ね》も高に
あしたの空に鳴き渡り
草かき分けて来るはなぞ
妻恋ふらしや妻鳥《つまどり》を

ねたしや露に羽《はね》ぬれて
朝日にうつる影見れば
雄鶏《をどり》に惜《を》しき白妙《しろたへ》の
雲をあざむくばかりなり

力あるらし声たけき
敵《かたき》のさまを懼《おそ》れてか
声色《いろ》あるさまに羞《は》ぢてかや
妻鳥《めどり》は花に隠れけり

かくと見るより堪へかねて
背をや高めし夫鳥《つまどり》は
羽《は》がきも荒く飛び走り
蹴爪に土をかき狂ふ

筆毛《ふでげ》のさきも逆立《さかだ》ちて
血潮《ちしほ》にまじる眼のひかり
二つの鶏《とり》のすがたこそ
是《これ》おそろしき風情《ふぜい》なれ

妻鳥《めどり》は花を馳《か》け出でて
争闘《あらそひ》分くるひまもなみ
たがひに蹴合ふ蹴爪《けづめ》には
火焔《ほのほ》もちるとうたがはる
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