の音《ね》を弾《ひ》きて
野末をかよふ人の子よ
声調《しらべ》ひく手も凍りはて
なに門《かど》づけの身の果《はて》ぞ
やさしや年もうら若く
まだ初恋のまじりなく
手に手をとりて行く人よ
なにを隠るゝその姿
野のさみしさに堪へかねて
霜と霜との枯草の
道なき道をふみわけて
きたれば寒し冬の海
朝は海辺《うみべ》の石の上《へ》に
こしうちかけてふるさとの
都のかたを望めども
おとなふものは濤《なみ》ばかり
暮はさみしき荒磯《あらいそ》の
潮《うしほ》を染めし砂に伏し
日の入るかたをながむれど
湧《わ》きくるものは涙のみ
さみしいかなや荒波の
岩に砕《くだ》けて散れるとき
かなしいかなや冬の日の
潮《うしほ》とともに帰るとき
誰《たれ》か波路を望み見て
そのふるさとを慕はざる
誰か潮の行くを見て
この人の世を惜《をし》まざる
暦《こよみ》もあらぬ荒磯の
砂路にひとりさまよへば
みぞれまじりの雨雲の
落ちて潮となりにけり
遠く湧きくる海の音
慣れてさみしき吾耳に
怪しやもるゝものの音《ね》は
まだうらわかき野路の鳥
嗚呼《ああ》めづらしのしらべぞと
声のゆくへをたづぬれば
緑の羽《はね》もまだ弱き
それも初音《はつね》か鶯《うぐひす》の
春きにけらし春よ春
まだ白雪の積れども
若菜の萌《も》えて色青き
こゝちこそすれ砂の上《へ》に
春きにけらし春よ春
うれしや風に送られて
きたるらしとや思へばか
梅が香《か》ぞする海の辺《べ》に
磯辺に高き大巌《おほいは》の
うへにのぼりてながむれば
春やきぬらん東雲《しののめ》の
潮《しほ》の音《ね》遠き朝ぼらけ
春
一 たれかおもはむ
たれかおもはむ鶯《うぐひす》の
涙もこほる冬の日に
若き命は春の夜の
花にうつろふ夢の間《ま》と
あゝよしさらば美酒《うまざけ》に
うたひあかさん春の夜を
梅のにほひにめぐりあふ
春を思へばひとしれず
からくれなゐのかほばせに
流れてあつきなみだかな
あゝよしさらば花影に
うたひあかさん春の夜を
わがみひとつもわすられて
おもひわづらふこゝろだに
春のすがたをとめくれば
たもとににほふ梅の花
あゝよしさらば琴《こと》の音《ね》に
うたひあかさん春の夜を
二 あけぼの
紅《くれなゐ》細くたなびけたる
雲とならばやあけぼのの
雲とならばや
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