自分で自分を考えて、今更のように心付いて見ると、御奉公に上りました頃の私と、その頃の私とは、自分ながら別な人のようになっておりましたのです。華美《はで》な御生活《おくらし》のなかに住み慣れて、知らず知らず奥様を見習うように成りましたのです。思えば私は自然と風俗《なり》をつくりました。ひっつめ鬢《びん》の昔も子供臭く、髱《たぼ》は出し、前髪は幅広にとり、鏡も暇々に眺め、剃刀《かみそり》も内証で触《あ》て、長湯をしても叱られず、思うさま磨《みが》き、爪の垢《あか》も奇麗に取って、すこしは見よげに成ました。奥様から頂いた華美《はで》な縞《しま》の着古しに毛繻子《けじゅす》の襟《えり》を掛けて、半纏《はんてん》には襟垢《えりあか》の附くのを気にし、帯は撫廻し、豆腐買に出るにも小風呂敷を被《か》けねば物恥しく、酢の罎《びん》は袖に隠し、酸漿《ほおずき》鳴して、ぴらしゃらして歩きました。柏木の友達も土臭く思う頃は、母親のことも忘れ勝でした。さあ、私は自分の変っていたのに呆れました。勤も、奉公も、苦労も、骨折も、過去ったことを懐《おも》いやれば、残るものは後悔の冷汗ばかりです。
 こういうことに思い耽《ふけ》って、夢のように歩いて帰りますと、奥様は頭ごなしに、
「お前は何をしていたんだねえ。まあ本町まで使に行くのに一時間もかかってさ」
 と囓付《かみつ》くように仰いました。その時、私は奥様と目を見合せて、言うに言われぬ嫌《いや》な気持になりましたのです。怒った振《ふり》も気取《けど》られたくないと、物を言おうとすれば声は干乾《ひから》びついたようになる、痰《たん》も咽喉《のど》へ引懸る。故《わざ》と咳《せき》払して、可笑《おかし》くも無いことに作笑《つくりわらい》して、猫を冠っておりました。
 その晩は、まんじりともしません。始めて奉公に上りました頃は、昼は働に紛れても、枕に就くと必《きっ》と柏木のことを思出すのが癖になって、「御母さん、御母さん」と蒲団《ふとん》のなかで呼んでは寝ました。次第に柏木の空も忘れて、母親《おふくろ》の夢を見ることも稀《たま》に成りました。さ、その晩です。復《ま》た私の心は柏木の方に向きました。その晩程母親を恋しく思ったことは有ません。唐草《からくさ》模様の敷蒲団の上は、何時の間にか柏木の田圃《たんぼ》側のようにも思われて、蒲公英《たんぽぽ》が黄な花を持ち、地梨が紅く咲いた草土手を枕にして、青麦を渡る風に髪を嬲《なぶ》らせながら、空を通る浅間の鷹《たか》を眺めて寝そべっているような楽しさを考えました。夜も更《ふ》けて来るにつれ、寝苦しく物に襲われるようで、戸棚を囓《かじ》る鼠も怖しく、遠い人の叫とも寂しい水車の音とも判《つ》かぬ冬の夜の声に身の毛が弥立《よだ》ちまして、一旦吹消した豆|洋燈《ランプ》を点けて、暗い枕|許《もと》を照しました。何度か寝返を打って、――さて眠られません。青々とした追憶《おもいで》のさまざまが、つい昨日のことのように眼中《めのなか》に浮んで来ました。もう私の心にはこの浮華《はで》な御家の御生活《おくらし》が羨しくも有ません。私は柏木のことばかり思続けました。流行謡《はやりうた》を唄って木綿機《もめんばた》を織っている時、旅商人《たびあきんど》が梭《おさ》の音《ね》を賞めて通ったことを憶出《おもいだ》しました。岡の畠へ通う道々妹と一緒に摘んだ野苺《のいちご》の黄な実を憶出しました。楽しい菱野《ひしの》の薬師参を憶出しました。大酒呑の父親《おやじ》が夕日のような紅い胸を憶出しました。父親と母親とで恐しい夫婦|喧嘩《げんか》をして、母親が「さあ、殺せ、殺すなら殺せ」と泣叫んだことも憶出しました。終《しまい》には私が七つ八つの頃のことまで幽《かす》かに憶出しました。すると熱い涙が流れ出して、自分で自分を思いやって泣きました。髪は濡れ、枕紙も湿りましたのです。思い労《つか》れるばかりで、つい暁《あけがた》まで目も合いません。物の透間《すきま》が仄白《ほのじろ》くなって、戸の外に雀の寝覚が鈴の鳴るように聞える頃は、私はもう起きて、汗臭い身体に帯〆て、釜の下を焚附《たきつ》けました。
 私も奥様に蹴《け》られたままで、追出される気は有ません。身の明りを立てた上で、是方《こちら》から御暇を貰って出よう、と心を決めました。あまりといえば袖《つれ》ない奥様のなされかた、――よし不義のそもそもから旦那様の御耳に入れて、御気毒ながらせめてもの気晴《きばらし》に、奥様の計略の裏を掻いてくれんと、私は女の本性を顕したのです。もうその朝は復讐《かたきうち》の心より外に残っているものは無いのでした。
 炉に掛けた雪平《ゆきひら》の牛乳も白い泡を吹いて煮立ちました頃、それを玻璃盞《コップ》に注いで御二階へ持って参りますと、旦那様は御机に倚凭《よりかか》って例の御調物です。御机の上には前の奥様の古びた御写真が有ました。旦那様もこの頃はそれを取出して、昔恋しく御眺めなさるのでした。とうとう私は何もかも打明《ぶちま》けて申上げましたのです。急に旦那様は御顔色を変えて、召上りかけた牛乳を御机の上に置きながら、
「むむ、分った、分った。お前の言うことは能《よ》く分った」
 と寂しそうに御笑なすって、湧上がる胸の嫉妬《しっと》を隠そうとなさいました。御顔こそ御笑なすっても、深い歎息《ためいき》や玻璃盞《コップ》を御持ちなさる手の戦慄《ふるえ》ばかりは隠せません。やがて、一口召上って、御独語《おひとりごと》のように、
「然し、元はと言えば乃公《おれ》の過《あやま》りさ。あれが来てから一年と経たない内に、もう乃公は飽いて了った。その筈《はず》だろう――あれとは年も違い、考も違う。まるで小児《ねんねえ》も同然だ。そんな者と話の合いようが無かろうじゃないか。噫《ああ》、年|甲斐《がい》もない、妻《さい》というものは幾人《いくたり》でも取替えられる位の了見でいたのが大間違。二度目となり、三度目となれば、もう真実《ほんとう》の結婚とは言われない。若いうちから長く一緒に居たものは、自分の経歴も知っていてくれるし、自分の嗜好《このみ》も知っていてくれるし……。お前が乃公のとこへ来てくれた時分は、乃公もあれを喜ばせたいばっかりに事業《しごと》をした。この節はあれを忘れよう……忘れようで事業をしているのだ。あれの不埓《ふらち》は乃公も薄々知ってはいた。知って今まで堪《こら》えていたというのも……その乃公の心持は……アハハハハハハハ。こんなことをお前に話したところで始まらないなア。あれの御父《おとっ》さんも御出なすったし、幸い一緒に連れて帰って貰う積りで、わざわざ長野までも出掛けては見たが、さて御父さんの顔を見ると――ああいう好人物《いいひと》だからなア、どうしても乃公にそんな話が出来ないじゃないか」と気を変えて、一段御声を低くなすって、「これはもうこれっきりの話だが、お前もそう言うからには何か証拠があるのかい。証拠がなくちゃ駄目だ。なあ、そうじゃないか。お前は何にも証拠がなかろう。だから、お前に一つ折入て頼みがある。お前が言う通り、桜井がこの節は毎日のように乃公の留守を附狙《つけねら》って入込むという証拠には、どうだ二人で出逢《であい》をしているところを乃公に見せてはくれまいか。きょうは赤十字社の北佐久総会というのがあるから、乃公は其処へ出掛る振《ふり》をして、お隣の小山さんに話している。よしか。桜井が来たらば、直に乃公の処へ知らしてくれ。お前の役はそれで済むんだ。そうしてお前はとにかく一旦柏木へ御帰り。お前がこれまで能く勤めてくれたのには、乃公も実に感心している。いずれ乃公の方からお前の御母《おっか》さんの処へ沙汰《さた》をして、悪いようにはしないから」
「難有うぞんじます」
 丁《とん》、丁《とん》、丁《とん》と梯子段《はしごだん》を上って来る人の気配がしました。旦那様は急に写真を机の引出へ御隠しなすって、一口牛乳を召上りました。白い手※[#「※」は底本では「はばへん+白」、59−8]《ハンケチ》で御口端を拭《ふ》きながら、聞えよがしの高調子、
「さあ、今日は忙しいぞ」

    六

 丁度その日は冬至です。山家のならわしとして冬至には蕗味噌《ふきみそ》と南瓜《とうなす》を祝います。幸い秋から残して置いた縮緬皺《ちりめんじわ》のが有ましたから、それを流許《ながしもと》で用意しておりますと、花火の上る音がポンポン聞える。私はいそいそとして、物を仕掛けてはついと立って勝手口の木戸を出て眺《なが》めました。見れば萌初《もえそ》めた柳の色のような煙は青空に残りまして、囃立《はやした》てる小供の声も遠く聞えるのでした。
 軒並に懸る赤十字の提灯《ちょうちん》、金銀の短冊、紅白の作花《つくりばな》には時ならぬ春が参りましたよう。北佐久総会とやらの式場は、つい東隣の小学校の広い運動場で、その日は小諸|開闢《かいびゃく》以来の賑《にぎわ》いと申しました位。前の日から紋付羽織に草鞋《わらじ》掛という連中が入込んでおりましたのです。長野から来た楽隊の一群は、赤の服に赤の帽子を冠って、大太鼓、小太鼓、喇叭《らっぱ》、笛なぞを合せて、調子を揃《そろ》えながら町々を練って歩きました。赤い織色の綬《きれ》に丸形な銀の章《しるし》を胸に光らせた人々が続々通る。巡査は剣を鳴して馳廻《かけまわ》っておりました。島屋の若旦那、荒町の亀惣様、本町の藤勘様、越後屋の御総領、三浦屋の御次男、いずれも羽織|袴《はかま》の御立派な御様子で御通りになりました。歯医者は割笹《わりざさ》の三つ紋で、焦茶色の中折を冠りまして、例の細い優しい手には小豆皮《あずきがわ》の手袋を着《は》めて参りました。急いで歩いて来たものと見え、暫らく土塀《どべい》の傍に立って息を吐きましたが、能く見れば目の縁も紅く泣|腫《は》れて、色白な顔が殊更《ことさら》いじらしく思われました。姿の美しい男は怒れば怒ったでよし、泣けば泣いたでよく見えるものです。情を含んだ目元は奥様に逢いたさで輝いて、何もその外のことは御存《ごぞんじ》ない様子が、反《かえ》っていたわしくも有ました。いつ見ても、悪《にく》めないのはこの人です。早く人目に懸らぬうちと、私は歯医者を勝手口から忍ばせて、木戸を閉めました。
「お定さん、今日は大層|賑《にぎやか》だね」
「まあ、人が出ましたじゃ御座ませんか」
「お前さん、どうしたの。なんだか蒼い顔してるね」
「御寒いからです」
「寒けりゃ女は蒼くなるものかね。私は今まで赤くなるとばかり思ってた。いいえ、戯言《じょうだん》じゃないよ。全くこう寒くちゃ遣切れない。手も何も凍《かじ》かんで了う。時に、あの何は――大将は……」
「旦那様ですか。もう最前《とっく》に御出掛《おでまし》に成りました。貴方、奥様は先刻《さっき》から御待兼で御座ますよ」
 歯医者は少許《すこし》顔を紅くして勝手口から上りました。続いて私も上りまして、炉に掛けて置いたお鍋の蓋を執って見ますと、南瓜《とうなす》は黄に煮え砕けてべとべとになりましたが、奥様の好物、早速の御茶菓子代り、小皿に盛りまして、蕗味噌《ふきみそ》と一緒に御部屋へ持って参りました。奥様は思いくずおれて男とおさしむかい、薄化粧した御顔のすこし上気《のぼ》せて耳の根元までもほんのり桜色に見える御様子の艶《あでや》かさ、南向に立廻した銀|屏風《びょうぶ》の牡丹花《ぼたん》の絵を後になすって、御物語をなさる有様は、言葉にも尽せません。伏目勝に、細く白い手を帯の間へ差込んでおいでなさいましたから、美しい御髪《おぐし》のかたちは猶《なお》よく見えました。言うに言われぬ薫《かおり》は御部屋のうちに匂い満ちておりましたのです。怒と恨とで燃えかがやいた私の目ですら、つい見恍《みと》れずにはいられません位。はっと心付いて私は御部屋を出ました。――もう奥様の御運は私の手の中に有ましたのです。
 さすがに私も台所に立って考えました。
 これを旦那様に申上げたら、事の破れはさてどうなる
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