は二度も三度も捕《つかま》りそうにして、終《しまい》には御召物まで脱捨てて、裸体《はだかみ》になって御逃げなすったんだそうです。いよいよ林檎畠の隅へ追い詰められて、樹と樹との間へ御身体が挟《はさま》って了って、もう絶体絶命という時に御目が覚めて見れば――寝汗は御かきなさる、枕紙は濡《ぬ》れる、御寝衣《おねまき》はまるで雫《びっしょり》になっておったということでした。一体、奥様は私共の夜のようじゃ無い、一寸した仮寝《うたたね》にも直ぐ夢を御覧なさる位ですから、それは夢の多い睡眠《ねむり》に長い冬の夜を御明しなさるので、朝になっても又た克《よ》くそれを忘れないで御話しなさるのです。「私の一生には夢が附|纏《まと》っている」と、よく仰いました。こういう風ですから、夢見が好《いい》につけ、悪《わるい》につけ、それを御目が覚めてから気になさることは一通りで無いのでした。奥様は今までが今までで、言うに言われぬ弱味が御有なさるのですから、御心配のあまり、私までも御疑いなさるような言《こと》を二度も三度も仰いました。奥様は短い一夜の夢で、長い間の味方までも御疑いなさるように成ましたのです。――風雨《あ
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