底へ押込んで御覧なさるやら、まだそれでも気になって取出しました。壁に高く掛けてありました細《こまか》な女文字の額の蔭に隠しても、何度かその下を歩いて御覧なすって、未だ御安心になりませんのです。この小な写真一枚の置処が有ません。終《しまい》には御自分の懐《ふところ》に納《い》れて、帯の上から撫でて御覧なさりながら、御部屋の内をうろうろなさいました。
 文箱《ふばこ》の中から出ましたのは、艶書《ふみ》の束です。奥様は可懐《なつかし》そうにそれを柔《やわらか》な頬に磨《す》りあてて、一々|披《ひろ》げて読返しました。中には草花の色も褪《さ》めずに押されたのが入れてある。奥様は残った花の香を嗅《か》いで御覧なすって、恍惚《しげしげ》とした御様子をなさいました。旦那様に見られてはならないものですから、その艶書は一切引裂いて捨てて御了いなさる御積でしたが、さて未練が込上げて、揉みくちゃにした紙を復[#「復」は底本では「腹」と誤記、51−2]た延して御覧なすったり、裂いた片《きれ》を繋合《つなぎあ》わせて御覧なすったりして――よくよく御可懐《おなつかしい》と思召すところは、丸めて、飲んで御了いなさい
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