、父親は甘《うま》そうに一服頂いて、
「よう、奥様は未だ若えなア。旦那様《だんなさん》は――私旦那様の御顔も見て行きたい」
「旦那様は御留守だよ」と私が横から。
「幾時だ」と復《また》尋ねる。
「十一時半。主家《うち》じゃもう十時になれば寝るんだよ。さあ、さっさと御帰りよ」
「水を、も一つ上げましょう」
「沢山、もう頂きました」
「すこし沈静《おちつ》いたら、今夜は早く御帰りなさい。お定もああして心配していますから、ね、そうなさい」
「はい。はい。さあこれから行って復た芸者を揚げるんだ。六区へでも行かずか」
「さあ、そうだ、そうなさい」
「これは不調法を申しやした。御免なすって御くんなさい。酔えばこんなものだが、奥様、酔わねえ時は好い男だ。アハハハハハハ」
 と、よろよろしながら立上りました。
「おやすみ、おやすみ」と可笑《おかし》な調子。
「何だねえ、確乎《しっかり》して御行《おいで》よ」と私は叱るように言いまして、菎蒻《こんにゃく》を提げさせて外へ送出す時に、「まあ、ひどい雪だ――気を注《つ》けて御行よ」と小声で言いました。
「お、や、す、み」
 と歌のように調子をつけながら、千鳥
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