、是方《こっち》の弱身になることはありません。思いつめた御心から掻口説《かきくど》かれて見れば、終《しまい》には私もあわれになりまして、染々《しみじみ》御身上《おみのうえ》を思遣りながら言慰《いいなぐさ》めて見ました。奥様は私の言葉を御聞きなさると、もう子供のように御泣きなさるのでした。
拠《よんどころ》なく、私も引受けて、歯医者に逢わせる御約束をしましたら、漸《やっ》と、その時、火のように熱い御手が私から離れたようにこころづきました。
その晩は、私も仮《ほん》の出来心で、――若い内に有勝《ありがち》な量見から。
然し、悪戯《いたずら》が悪戯でなくなって、事実《ほんとう》も事実《ほんとう》も恐しい事実になって行くのを見ては、さすがに私も震えました。私は後暗いと、恐しいとで、噂さを嗅附《かぎつ》ける犬のようになって、御人の好い旦那様にまで吠《ほ》えました。
或時は自分で責められるような自分の心を慰めて見たこともありましたのです。全く道ならぬ奥様の恋とは言いながら、思の外のあわれも有ましたので。人の知らない暗涙《なみだ》は夜の御床に流れても、それを御話しなさるという女の御友達は有ませんので。ですから、私は独り考えて、思い慰めました。
さ、それです。
奥様は暖い国に植えられて、軟《やわらか》な風に吹かれて咲くという花なので。この荒い土地に移されても根深く蔓《はびこ》る雑草《くさ》では有ません。こうした御慣れなさらない山家住《やまがずまい》のことですから、さて暮して見れば、都で聞いた田舎生活《いなかぐらし》の静和《しずかさ》と来て視《み》た寂寥《さびしさ》苦痛《つらさ》とは何程《どれほど》の相違《ちがい》でしょう。旦那様は又た、奥様を籠の鳥のように御眺めなさる気で、奥様の独り焦《じれ》る御心が解りませんのでした。何時《いつ》、羽根を切られた鳥の心が籠に入れて楽しむという飼主に解りましょう。何程、世間の奥様が連添う殿方に解りましょう。――女の運はこれです。御縁とは言いながら、遠く御里を離れての旅の者も同じ御身上《おみのうえ》で、真実《ほんと》に同情《おもいやり》のあるものは一人も無い。こればかりでも、女は死にます。奥様の不幸《ふしあわせ》な。歓楽《たのしみ》の香《におい》は、もう嗅いで御覧なさりたくも無いのでした。奥様は歎《な》き疲《くたぶ》れて、乾いた草のように
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