い十字架をつけ、牡丹《ぼたん》の造花を載せた棺の側には、桜井先生が司会者として立っていた。讃美歌《さんびか》が信徒側の人々によって歌われた。正木未亡人は宗教に心を寄せるように成って、先生の奥さんと一緒に讃美歌の本を開けていた。先生は哥林多《コリント》後書の第五章の一節を読んだ。亡くなった生徒の為に先生が弔いの言葉を述べた時は、年をとった母親が聖書を手にして泣いた。
士族地の墓地まで、しとしとと降る雨の中を高瀬は他の同僚と一諸に見送りに行った。松の多い静かな小山の上に遺骸《いがい》が埋められた。墓地では讃美歌が歌われた。そこの石塔の側、ここの松の下には、同級生などが佇立《たたず》んで、この光景《ありさま》を眺めていた。
ある日、薄い色の洋傘《こうもり》を手にしたような都会風の婦人が馬場裏の高瀬の家を訪ねて来た。この流行《はやり》の風俗をした婦人は東京から来たお島の友達だった。最早《もう》山の上でもすっかり雪が溶けて、春らしい温暖《あたたか》な日の光が青い苔《こけ》の生えた草屋根や、毎年大根を掛けて干す土壁のところに映《あた》っていた。
丁度、お島は手拭で髪を包んで、入口の庭の日あたりの好いところで余念なく張物をしていた。彼女の友達がそこへ来た時は、「これがお島さんか」という顔付をして、暫《しばら》く彼女を眺めたままで立っていた。
お島は急いで張物板を片附け、冠っていた手拭を取って、六年ばかりも逢えなかった旧《もと》の友達を迎えた。
「まあ、岡本さん――」
とその友達は、お島がまだ娘でいた頃の姓を可懐《なつか》しそうに呼んだ。
一汽車待つ間、話して、お島の友達は長野の方へ乗って行った。その日は日曜だった。高瀬は浅黄の股引《ももひき》に、尻端を折り、腰には手拭をぶらさげ、憂鬱な顔の中に眼ばかり光らせて、他《よそ》から帰って来た。お島は勝手口の方へ自慢の漬物を出しに行って来て、炉辺で夫に茶を進めながら、訪ねてくれた友達の話をして笑った。
「私が面白い風俗《ふう》をして張物をしていたもんですから、吃驚《びっくり》したような顔してましたよ……」
「そんなに皆な田舎者に成っちゃったかナア」
と高瀬も笑って、周囲を見廻した。煤《すす》けた壁のところには、歳暮《せいぼ》の景物に町の商家で出す暦附の板絵が去年のやその前の年のまで、子供の眼を悦ばせるために貼《はり》附けて
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