ばならないことも多かったので、それから夕方まで私は子供の傍に居なかった。やがて最早《もう》息を引取ったろうか、そんなことを思いながら、病院の方へ急いで見ると、まだお房は静かに眠る状態《さま》である。小鳥も塒《ねぐら》に帰る頃で、幾羽となく椎の樹の方へ飛んで来た。窓のところから眺めると、白い服を着た看護婦だの、癒りかけた患者だのが、彼方此方《あちこち》と庭の内を散歩している。学士達は消毒衣のままで、緑蔭にテニスするさまも見える。ここへお房が入院したばかりの時は、よく私も勧められてテニスの仲間入をしたものだが、最早ラッケットを握る気にも成れなかった。
 お房の眼の上には、眸《ひとみ》が疲れると言って、硼酸《ほうさん》に浸した白い布が覆《かぶ》せてあった。時々痙攣の起る度に、呼吸は烈しく、胸は波うつように成った。頭も震えた。もはや終焉《おわり》か、と思って一同子供の周囲《まわり》に集って見ると、復たいくらか収って、眠った。
 夕日は室《へや》の内《なか》に満ちた。庭に出て遊ぶ人も何時の間にか散って了った。不忍《しのばず》の池《いけ》の方ではちらちら灯《あかり》が点《つ》く。私達は、半分死んで
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