ろ》しくて、戸が押せなかった。思い切って開けて見ると、お房はすこし沈着《おちつ》いてスヤスヤ眠っている。
 翌朝《よくあさ》は殊にワルかった。子供の顔は火のように熱した。それを見ると、病の重いことを思わせる。
「母さん何処《どこ》に居るの?」とお房は探すように言った。
「此処《ここ》に居るのよ」と母は側へ寄ってお房の手に自分のを握《つか》ませた。
「そう……」とお房は母の手を握った。
「房ちゃん、見えないのかい」
 と母が尋ねると、お房は点頭《うなず》いて見せた。その朝からお房は眼が見えなかった。
 この子供の枕している窓の外には、根元から二つに分れた大きな椎《しい》の樹があった。それと並んで、二本の樫《かし》の樹もあった。若々しい樫の緑は髪のように日にかがやいて見え、椎の方は暗緑で、茶褐《ちゃかっ》色をも帯びていた。その青い、暗い、寂《さ》びきった、何百年経つか解らないような椎の樹蔭から、幾羽となく小鳥が飛出した。その朝まで、私達は塒《ねぐら》とは気が付かなかった。
 燕《つばめ》も窓の外を通った。田舎者らしい附添の女はその方へ行って、眺めて、
「ア――燕が来た」
 と何か思い出した
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