ような日が来た。
私は庭に出て、子供のことを考えて、ボンヤリと眺め入った。樹木を隔てた植木屋の勝手口の方では、かみさんが障子を開けて、
「黒――来い、来い、来い」
こう呼ぶ声が聞えた。
二晩ばかり、私は家の方に居た。その翌《あく》る晩も、知らせが有ったら直に病院へ出掛ける積りで、疲れて眠っていると、遅くなって電報を受取った。
「ミヤクハゲシ、スグコイ」
とある。九時半過ぎた。病院へ着く前に最早あの厳重な門が閉されることを思って、入ることが出来るだろうかとは思ったが、不取敢《とりあえず》出掛けた。追分《おいわけ》まで車で急がせて、そこで私は電車に移った。新宿の通りは稲荷《いなり》祭のあるころで、提灯《ちょうちん》のあかりが電車の窓に映ったが、そのうちに雨の音がして来た。濡《ぬ》れて光る夜の町々の灯――白い灯――紅い灯――電線の上から落ちる青い電光の閃《きらめ》き――そういうものが窓の玻璃《ガラス》に映ったり消えたりした。寂しい雨の中を通る電車の音は余計に私を疲れさせた。車の中で私は前後を知らずにいることもあった。時々眼を覚ますと、あのお房が一週間ばかり叫びつづけに叫んだ焦々《いら
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