で、ぶらぶらそれを読みながら歩いて行くと、中に麹町《こうじまち》の方に居る友達の寄稿したものがあった。メレジコウスキイが『トルストイ論』の中からあの露西亜《ロシア》人の面白い話が引いてあった。それは、芽生《めばえ》を摘んだら、親木が余計成長するだろうと思って、芽生を摘み摘みするうちに、親木が枯れて来たという話で、酷《ひど》く私は身にツマされた。ドシドシ新しい家屋の建って行く郊外の光景《ありさま》は私の眼前《めのまえ》に展《ひら》けていた。私は、何の為に、山から妻子を連れて、この新開地へ引移って来たか、と思って見た。つくづく私は、努力の為すなく、事業の空しきを感じた。
眺め入りながら、
「芽生は枯れた、親木も一緒に枯れかかって来た……」
こう私は思うように成った。
その晩、私は急に旅行を思い立った。磯部《いそべ》の三景楼というは、碓氷川《うすいがわ》の水声を聞くことも出来て、信州に居る時分よく遊びに行った温泉宿だ。あそこは山の下だ、あそこまで行けば、山へ帰ったも同じようなものだ、と考えて、そこそこに旅の仕度を始めた。
「なんだか俺は気でも狂《ちが》いそうに成って来た。一寸磯部まで行って来る」
こう家のものに言った。翌朝《よくあさ》早く私は新宿の停車場を発《た》った。
底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
1969(昭和44)年2月15日初版発行
1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅 邪鬼
校正:菅野朋子
2000年7月8日公開
2000年12月10日修正
青空文庫作成ファイル:
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