ざん泣いて来たんですよ」こう家内はそこへ立留って言った。「帰りに八百屋へ寄って、買物をしていましたら、急にそこいらが見えなく成って来て……房ちゃんや菊ちゃんを連れていなかろうものなら、真実《ほんと》に私はどうしようかと……」
「最早《もう》見えないのかい」
「街燈《ガス》の火ばかし見えるんですよ……あとは真暗なんです」
「さあ、房ちゃんも、菊ちゃんも、お家へお入り」
 暮色が這うようにやって来た。私達は子供を連れて急いで門の内へ入った。
 こういう私の家の光景《ありさま》は酷く植木屋の人達を驚かした。この家族を始め、旧くから大久保に住む農夫の間には、富士講の信者というものが多かった。翌日のこと、切下髪《きりさげがみ》にした女が突然私の家へやって来た。この女は、講中の先達《せんだつ》とかで、植木屋の老爺《じい》さんの弟の連合《つれあい》にあたる人だが、こう私の家に不幸の起るのは――第一引越して来た方角が悪かったこと、それから私の家内の信心に乏しいことなどを言って、しきりに祈祷《きとう》を勧めて帰って行った。
「御祈祷して御貰い成すったら奈何《いかが》です――必《きっ》と方角でも悪かったんでしょうよ」
 と植木屋の老婆《ばあ》さんは勝手口のところへ来て言った。義理としても家内は断る訳にいかなかった。
 その日から家内は一人ズツ子供を連れて駿河台まで通った。暑い日ざかりを帰って来て、それから昼飯の仕度に掛かった。信州の牧野君からは手紙の着くのを待つ頃であった。それを手にして見ると、「自分の子供の泣声を聞いたら、さぞ房子さん達も待つだろうと思って、急に手紙を書く気に成った――約束のものを送る」としてあった。私はこの友達の志に励まされて、あらゆる落胆と戦う気に成った。家内には新宿の停車場前から鶏肉だの雑物《ぞうもつ》だのを買って来て食わせた。この俗にいう鳥目《とりめ》が旧《もと》の通り見えるように成るまでには、それから二月ばかり掛かった。
 翌年の三月には、界隈《かいわい》はもう驚くほど開けていた。この郊外へ移って来て、近くに住む二人の友達もあった。私の家では、四番目の子供も産れていた。はじめての男で、種夫とつけた。姪《めい》も一人郷里から出て来て、家からある学校へ通っていた。この月に入って、漸く私は自分の仕事を終った。
 私も労作した。この仕事には、殆んど二年を費した。牧野
前へ 次へ
全29ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング