で、船は多く川上の方へ向っていた。
「大橋の火見櫓《ひのみやぐら》だけは、それでも変らずに有りますネ」
 と正太が眺めながら言った。
 青い潮の反射は直に人を疲れさせた。三吉は長く立って見てもいられないような気がした。正太を誘って、復た歩き出した。
 大橋まで行って引返して来た頃、三吉は甥の萎《しお》れている様子を見て、
「正太さん、向島にはチョクチョクお逢《あ》いですか」と言って見た。
「サッパリ」
「へえ、そんなかネ」
「威勢の悪いこと夥《おびただ》しいんです。向島が私に、茶屋でばかり逢うのも冗費《ついえ》だから、家へ来いなんて……そうなると、先方《さき》の母親《おっか》さんが好い顔をしませんや。それに、芸者屋へ入り込むというやつは、あまり気の利《き》いたものじゃ有りませんからネ」
 と言いかけて、正太は対岸にある建物を叔父に指して見せて、
「彼処《あすこ》に会社が見えましょう。あの社長とかが向島を贔顧《ひいき》にしましてネ、箱根あたりへ連れてったそうです。根引《ねびき》の相談までするらしい……向島が、どうしましょうッて私に聞きますから、そんなことを俺《おれ》に相談する奴が有るもん
前へ 次へ
全324ページ中229ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング