若い、悲しい生涯を思わせるようなものであった。十六の年に親しい友に死別れて、それから墓畔《ぼはん》のさまよいを楽むように成ったことや、ある時はこの世をあまり浅猿《あさま》しく思って、死ということまで考えたが、母と妹のある為に思い直したこと、自分は苦労というものに逢いにこの世へ生れて来たのであろう、というようなことなぞが、この娘の口からきれぎれに出て来た。
「私は、どんなことがあっても、自分の性質だけは曲げたくないと思いますわ……でも、ヒネクレて了《しま》やしないか、とそればかり心配しているんですけれど……」
 と言って、ややしばらく沈思した後で、
「しかし、私が今まで遭遇《であ》って来たことの中で、唯《たった》一つだけ叔父さんに話しましょうか」
 こんなことを言出した。
 お俊は、附添《つけた》して、母より外《ほか》にこの事件を知るものがないと言った。その口振で、三吉には、親戚の間に隠れた男女《おとこおんな》の関係ということだけ読めた。誰がこの娘に言い寄ろうとしたか、そんな心当りは少しも無かった。
「大抵叔父さんには解りましたろうネ」
「解らない」三吉は首を振った。「何か又、お前が誤解したんだろう――雲を烟《けぶり》と間違えたんじゃないか」
 お俊の眼からは涙が流れて来た。彼女は手で顔を掩《おお》うて、自分の生涯を思い出しては半ば啜泣《すすりな》くという風であった。一寸《ちょっと》縁側へ出て見て、復た叔父の方へ来た。
「叔父さんは……正太兄さんをどういう人だとお思いなすって……兄さんは叔父さんが信じていらッしゃるような人でしょうか」
 三吉は姪の顔を熟視《みまも》った。「――お前の言うのは正太さんのことかい」
「私が二十五に成ったら、叔父さんに御話しましょうって言いましたろう。それよ。その一つよ。豊世姉さんがこんな話を御聞きなすったら、どんな顔を成さるでしょう……可厭《いや》だ、可厭だ……私は一生かかって憎んでも足りない……」
「ああ、なんだか変な気分に成って来た。何だって、そんな可厭な話をするんだ」
「だって、叔父さんが鑿《ほじ》って聞くんですもの」
 三吉は「そうかナア」という眼付をして、黙って了った。
「ね、もっと他《ほか》の好い話をしましょう」
 とお俊は微笑《ほほえ》んで見せて、窓のある部屋の方へ立って行った。そこから手紙を持って来た。
「多分叔父さんはこの手紙を書いた人を御存じでしょう」
 姪が出して来て見せたものは、手紙と言っても、純白な紙の片《きれ》にペンで細く書いた僅かな奥床《おくゆか》しい文句であった。「君のように香《か》の高い人に遭遇《であ》ったことは無い、これから君のことを白い百合《ゆり》の花と言おう」唯それだけの意味が認《したた》めてある。サッパリしたものだ。別に名前も書いて無いが、直樹の手だ。
「今までも兄さんでしたから、だから真実《ほんと》の兄さんになって頂いたの――それでおしまい」とお俊は言葉を添えた。
 この「それでおしまい」が三吉を笑わせた。
 正太でも、直樹でも娘達は同じように「兄さん」と呼んでいた。一方は従兄弟《いとこ》。一方は三吉が恩人の子息《むすこ》というだけで、親戚同様にしていたが、血統《ちすじ》の関係は無かった。区別する為に正太兄さんとか、直樹兄さんとか言った。三吉も、その時に成って、いろいろ知らなかったことを知った。

        三

 実――お俊の父は、三吉とお雪とが夫婦に成ってから、始めて弟の家に来て見た。旧《ふる》い小泉を相続したこの一番|年長《うえ》の兄が、暗い悲酸な月日を送ったのも、久しいものだ。彼が境涯の変り果てたことは、同じ地方の親しい「旦那衆《だんなしゅう》」を見ても知れる。一緒に種々な事業を経営した直樹の父は、彼の留守中に亡くなった。意気相投じた達雄は、最早|拓落失路《たくらくしつろ》の人と成った。
 とは言え、留守中彼の妻子が心配したほど、実は衰えて見えなかった。彼は兄弟中で一番背の高い人で、体格の強壮なことは父の忠寛に似ていた。小泉の家に伝って、遠い祖先の慾望を見せるような、特色のある大きな鼻の形は、彼の容貌《おもばせ》にもよく表れていた。顔の色なぞはまだ艶々《つやつや》としていた。
 この兄が三吉の部屋へ通った。丁度、娘達は家に居なかった。三吉は長火鉢《ながひばち》の置いてあるところへ行って、自分で茶を入れた。それを兄の前へ持って来た。
 一生の身の蹉跌《つまずき》から、実は弟達に逢《あ》うことを遠慮するような人である。未だ森彦には一度も逢わずにいる。三吉に逢うのは漸《ようや》く二度目である。
「俊は?」と実が自分の娘のことを聞いた。
「一寸《ちょっと》新宿まで――延と二人で買物に行きました」
「御留守居がウマク出来るかナ」
「ええ、好く遣《や》っ
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