わざ御出を願ったような訳です……」
こう正太は三吉に言った。彼は又、豊世を顧みて、「叔父さん達に倚子《いす》でも上げたら可かろう」と注意した。
豊世は倚子を寝台の側へ持って来た。森彦、三吉の二人はそれに腰掛けて話した。お種はなるべく正太を休ませたいという風で、三吉に向って、
「お前さんが来るか来るかと言って、彼《あれ》は昨日から待っていた……この名古屋に、彼の御友達で油絵を描く人がある、その人の描いた画をこの部屋で眺められて、三吉叔父さんに御目に掛れれば、もう他に彼は思い残すことが無いのだそうな……で、そのことを御友達に御話したら、それは造作もないことだ、同じ絵ばかりでも倦《あ》きるだろうによって、時々別なのを持って来て取替えて進《あ》げる、そう言ってあんなのを掛けて下すった……」
彼女は、寝ながら病人が眺められるようにしてある小さな風景画の額を弟に指してみせた。
森彦はお種や豊世に看護の注意を与えて置いて、一歩先《ひとあしさき》に旅舎の方へ帰って行った。午後まで三吉は正太の傍に居た。時とすると、正太はウトウトした眠に陥入った。その度に三吉は病室の外へ出て、夏めいた空の見える玻璃戸《ガラスど》のところで巻煙草を燻《ふか》した。白い制服を着けた看護婦は長い廊下を往来《ゆきき》していた。
森彦は旅舎《やどや》の方で、看護する人達のことを心配していた。共進会も終った頃で、二階には泊り客も少かった。部屋々々は風通しよく明けひろげてあった。そこへ三吉はお種と一緒に、病院から戻って来た。
「御風呂を御馳走《ごちそう》してくれるそうだで、一寸呼ばれに来ました」とお種は森彦に言った。
「ええ、貴方がたは看病にばかり夢中に成ってるが、各自《めいめい》注意しないと不可《いかん》。湯にでも入って、すこし休んでお出。今日は一つ――三吉も来たし――夕飯を奢《おご》ろう」
と言って、森彦は女中を呼んだ。
「三吉は何が好い。鳥肉《とり》でも食うか」と復た彼は弟を顧みて言った。
一風呂浴びた後、姉弟三人は一緒に集って茶を飲んだ。「今度は、姉さんも非常に成績が好い――その点は感心した」と森彦が面と向って姉に言う位で、橋本の家で三吉が一緒に成った時のお種とは別の人のように見えた。狂人《きちがい》にでも成るかと思われたお種の晩年に、こうした静かさが来ようとは、実に三吉には思いもよらないことで有った。
他の兄弟の話が引出された。お種は、満洲から来た実の便りに、漸く彼も信用のある身《からだ》に成って、東京に留守居するお倉へ月々の生活費を送るまでに漕付《こぎつ》けたことを話し出した。
「三吉にその手紙を見せずと思って……つい郷里《くに》を出る時に忘れて来た」ともお種が言った。
宗蔵の噂も出た。「ああ捨身に成れば、人間は生きて行かれるものだ――彼《あれ》は彼で食える」と森彦は森彦らしいことを言って、笑った。
やがて、女中は誂《あつら》えて置いた鳥の肉を大きな皿に入れて運んで来た。紅《あか》くおこった火、熱した鉄鍋《てつなべ》、沸き立つ脂《あぶら》などを中央《まんなか》にして、まだ明るいうちに姉弟は夕飯の箸《はし》を取った。
「熱い御馳走だが、さあ、やっとくれ」
と森彦は腕まくりして始めた。
肉は焼けてジュウジュウ音がした。見る間に葱《ねぎ》も柔く成った。お種も、三吉も、口をホウホウ言わせながら、甘《うま》そうに汗を流して食った。
「豊世にも食わせてやると好かった」と森彦は懐をひろげて、胸のあたりに流れる汗を押拭《おしぬぐ》った。
「彼女《あれ》は病人を引受けてるで……俺がまた入替りに成って、彼女をも寄《よこ》すわい……御風呂にでも入れてやって御くれ」
こうお種は物静かな調子で答えた。
病院の方へ心が引かれて、お種はそこそこに別れて行ったが、燈火《あかり》の点く頃には、豊世が入替ってやって来た。豊世は行末のことまでも考えるという風で、沈み勝ちに見えた。その晩は遅く成って、豊世の兄、幸作の二人が郷里の方からこの旅舎へ着いた。
翌日の午前は、小泉兄弟を始め、ここへ来て脚絆《きゃはん》を解いた人達が一つ部屋に集って、正太が亡く成った後のことまでも話し合った。
「や、名古屋へ来て、ここの家の娘の踊を見ないということは無い」
と森彦が款待顔《もてなしがお》に言出した。彼は宿の小娘を呼んで、御客様に踊を御目に掛けよ、老婆《おばあ》さんにも来て、三味線《しゃみせん》を引くように、と笑い興じながら勧めた。
こういう中で、正太は病みつつあった。午後に一同が病院を訪ねた時は、正太は興奮した気味で、皆なの見ている前で手足なぞを拭かせたが、股《もも》のあたりの肉はすっかり落ちていた。嘔気《はきけ》があるとかで、滋養物も咽喉《のど》を通らなかった。正太は、豊世の
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