とう》に森彦さんには通じないような気がした。言い方も悪かったが。唯、田舎へでも引込め――そういう意味に釈《と》られて了った」
「そりゃ、叔父さん、森彦さんには出来ない相談です。あの叔父さんは、第一等の旅館に泊って、第一等の宿泊料を払って行く人です。苦しい場合でも、そうしないでは気の済まない人です。草鞋穿《わらじばき》で、土いじりでもしながら、片手間に用務を談ずるなんて、そういう気風の人じゃ有りません」
「極く平民的な人のようだが、一面は貴族的だネ。どうしても大きな家に生れた人だネ。すこし他《ひと》が難渋して来ると、なアに俺がどうかしてやるなんて――御先祖の口吻《くちぶり》だ」
 こう話し合って見ると、二人は森彦のことを言っていながら、それが自然と自分達のことに成って来るような気がした。旧家に生れたものでなければ無いような頽廃《たいはい》の気――それを二人は互に嗅《か》ぎ合う心地もした。
「森彦さんから、僕に二百円ばかり造れと言うんサ」と三吉は以前の話に戻って、「それがネ。真実《ほんとう》にあの人の為に成ることなら、どんなことをしても僕は造るサ。特にその為に一作するサ。どうも今日《こんにち》の状態じゃ、復た前と同じことに成りゃしないか……それに、僕だって、君、ヤリキレやしないよ……」
 と言いかけて、暫時《しばらく》三吉は聞耳を立てた。階下《した》では老人の咳払《せきばらい》が聞える。
「名倉の阿爺《おとっ》さんなぞは、君、今に僕が共潰《ともつぶ》れに成るか成るかと思って、あの通り熟《じっ》と黙って見てる……決して僕を助けようとはしない。実に、強い人だネ。僕もまた、痩我慢《やせがまん》だ。仕事のことであの阿爺さんに助けられても、暮し向のことや何かで助けてくれと言ったことは無い。ああして、下手に助けないで、熟《じっ》と黙って見てる――あそこはあの阿爺さんの面白いところさネ」
 その時、表の戸を開けて入って来る客の声がした。階下では皆なの話声が起った。
「ああ、※[#「※」は「ひとがしら+ナ」、188−18]さんだ」
 と三吉が正太の顔を見ながら言っているところへ、お雪はそれを告げに来た。三吉は正太に会釈して置いて、一寸《ちょっと》階下へ降りた。
 老人や母や勉は長火鉢の周囲《まわり》に集っていた。三吉は友達に話し掛けるような調子で、勉に話し掛けた。
「へえ、今度も商用の方ですか」
「ええ、毎年一度や二度は出て来なけりゃ成りません」と勉は商人らしい調子で言った。「時に小泉さん、※[#「※」は「○の中にナ」、189−6]の兄さんから御言伝《おことづけ》がありましたが、貴方の御宅でも女中が御入用《おいりよう》だそうですから――近いうちに一人連れて御出掛に成るそうです」
「そうですか、そいつは難有《ありがた》い。名倉の兄さんもどうしてますかネ。相変らず御店の方ですかネ」
「大将も多忙《いそが》しがっています」
 こんな調子で、三吉は打解けて話した。彼はお雪を傍へ呼んで、勉を款待《もてな》させて、復た正太の居る方へ上って行った。
「ええ、福ちゃんの旦那さんです。彼方《あっち》の方の人達は大阪の商人《あきんど》に近いネ。皆な遣方《やりかた》がハゲしい」
 と三吉は正太の前に復《もど》って言った。
 未だ正太は思わしい仕事も無く、ブラブラしていた。骨を折って口を見つけに飛び歩こうともしていなかった。彼はいくらか窶《やつ》れても見えた。謡《うたい》の会の噂、料理の通、それから近く欧洲を漫遊し帰って来たある画家の展覧会を見たことなど、雪の日らしい雑談をした後で、正太は帰って行った。
 修業ざかりの娘を二人まで控えた森彦の苦んでいる姿が、三吉の眼にチラついた。彼は兄を助けずにいられないような気がした。名倉の両親に隠すようにして金をつくることを考えた。


 ※[#「※」は「○の中にナ」、190−5]の兄と連立って、名倉の母が長逗留《ながとうりゅう》の東京を去る頃は――三吉は黙って考えてばかりいる人でもなかった。「随分、父さんはコワい眼付をする」と名倉の母はよく言ったが、そういう眼付で膳に対って、飯を食えば直に二階へ上って行って了うような――最早そんな人でもなかった。
 時には、楼梯《はしごだん》を踏む音をさせて、用もないのに三吉は二階から降りて来た。下座敷の柱に倚凭《よりかか》って、
「お雪、俺とお前と何方《どっち》が先に死ぬと思う」
「どうせ私の方が後へ残るでしょうから、そうしたら私はどうしよう――何にも未だ子供のことは為《し》て無いし――父さんの書いた物が遺《のこ》ったって、それで子供の教育が出来るか、どうか、解らないし(まあ、覚束《おぼつか》ないと思わなけりゃ成りません、何処の奥さんだって困っていらっしゃる)と言って、女の教師なぞは私の柄に無い
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