京するというは、三吉にも想像し得るように思われた。
 門前には、車が待っていた。正太は車夫を呼んで、心忙《こころぜわ》しそうに自分の家の方へ帰って行った。


 お種がお仙と一緒に東京へ着いた翌々日、正太はその報告がてら、一寸《ちょっと》復た三吉叔父の家へ寄った。
「一昨日、母も無事に着きました」と正太は入口の庭に立ったまま、すこし改まって言った。
「お雪」と三吉は妻の方を見て、「姉さん達も御着に成ったとサ」
 お雪は最早三番目の男の児を抱いている頃であった。橋本の姉の上京と聞いて、微笑《ほほえ》みながら上《あが》り端《はな》のところへ来た。
「月でも更《かわ》りましたら、御緩《ごゆっく》り入来《いら》しって下さい」と正太は叔父叔母の顔を見比べて、「叔母さんも、何卒《どうぞ》叔父さんと御一緒に――母もネ、着きました晩なぞは非常に興奮していまして、こんな調子じゃ困ったもんだなんて、豊世と二人で話しましたが、昨日あたりから大分それでも沈静《おちつ》いて来ました――」
 簡単に母の様子を知らせて置いて、正太は出て行った。
 月でも更ったらと、正太が言ったが、久し振りで三吉は姉に逢おうと思って、その日の夕方から甥の家を訪ねることにした。種夫に着物を着更えさせて、電車で駒形《こまがた》へ行った時は、橋本とした軒燈《ガス》が石垣の上に光り始めていた。三吉は子供を抱き擁《かか》えて、勾配《こうばい》の急な石段を上った。
「種ちゃん、父さんと御一緒に――よく被入《いら》しって下さいましたねえ」と豊世が出て迎えた。
「坊ちゃま、さあアンガなさいまし」女中の老婆も顔を出した。
「こんな小さな下駄《かっこ》を穿《は》いて――」と復た、子の無い豊世がめずらしそうに言った。
 間もなく、三吉はお種やお仙と挨拶《あいさつ》を交換《とりかわ》した。遠慮の無い種夫は、綺麗に片付けてある家の内を歩き廻った。お種は自分の方へ子供を抱寄せるようにして、
「種ちゃん――これが木曾《きそ》の伯母さんですよ。お前さんの姉さん達は、よくこの伯母さんが抱ッこをしたり、負《おん》ぶをしたりしたッけが……」と言って、お仙の方を見て、「お仙や、あのワンワンをここへ持って来て御覧」
 お仙は、箪笥《たんす》の上にある犬の玩具《おもちゃ》を取出して、種夫に与えた。
「叔父さん、二階の方へいらしって下さい」と正太が先に立って言った。
「そうせまいか。二階で話さまいか」と言って、お種は子供を背中に乗せて、「お仙もいらっしゃい」
「母親さん、危う御座んすよ」と豊世は灯の点《つ》いた洋燈《ランプ》を持ちながら、皆なの後から階梯《はしごだん》を上った。
 二階は、水楼の感じがすると、三吉が来る度《たび》に言うところで、隅田川《すみだがわ》が好く見えた。対岸の町々の灯は美しく水に映じていた。正太に似て背の高いお仙は、縁側の欄《てすり》に近くいて、母や叔父の話を聞こうとした。この娘の癖で、どうかすると叔父の顔に近く自分の処女《おとめ》らしい顔を寄せて、言い難い喜悦《よろこび》の情を表わそうとした。お仙は二十五六に成るとは見えなかった。ずっと若く見えた。
「どうだネ、お仙、三吉叔父さんにお目に掛ってどんな気がするネ」
 と母に言われて、お仙は白い繊細《ほそ》い手を口に宛行《あてが》いながら、無邪気に笑った。
「彼女《あれ》は、どの位嬉しいか解《わから》ないところだ」とお種は三吉に言って聞かせた。「お前さん達のことばかり言い暮して来た。彼女が郷里《くに》へ連れられて行ったのは、六歳《むっつ》の時だぞや。碌《ろく》に記憶《おぼえ》があらすか。今度初めて東京を見るようなものだわい」
 種夫はすこしも静止《じっと》していなかった。部屋の内は正太の趣味で面白く飾ってあったが、子供はそんなことに頓着《とんじゃく》なしで、大切な道具でも何でも玩具にして遊ぼうとした。
「種ちゃん、いらッしゃい、豊世叔母ちゃんが負《おん》ぶして進《あ》げましょう――表の方へ行って見て来ましょうネ」
 と豊世は種夫を連れて、階下《した》へ行った。やがて、往来の方からお仙を呼ぶ声がした。
「お仙ちゃんも、そこいらまで一緒に見に行きませんか」
 豊世が誘うままに、お仙も町の夕景色を見に出掛けた。
 正太は母や叔父を款待《もてな》そうとして、階梯《はしごだん》を上ったり下りたりした。二階の縁側に近く煙草盆《たばこぼん》を持出して、三吉はお種と相対《さしむかい》に坐った。お種が広い額には、何となく憂鬱《ゆううつ》な色が有った。でも案じた程でも無いらしいので、三吉もやや安心して、亡くなった三人の子供の話なぞを始めた。山で別れてから以来《このかた》、お種は言いたいことばかり、何から話して可いか解らない程であった。
「房ちゃん達のことを思うと、種夫
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