宜様のところへ行って来てくれや」
「正太さん、僕も一緒に行きましょう」
と三吉は甥《おい》の側へ寄った。
遠い神主の寓居《すまい》の方から、三吉、正太の二人が帰って来た頃は、近い親戚のものだけ残った。お倉は取るものも手に着かないという風で、唯もう狼狽《ろうばい》していた。お俊は一人で気を揉《も》んだ。会計も娘が預った。
「お雪」と三吉が声を掛けた。「お前は今日は御免|蒙《こうむ》ったら可かろう」
「叔母さん、何卒《どうぞ》御帰りなすって下さい」とお俊が言った。
奥に机を控えていた森彦は振向いた。「そうだ。子持は帰るが可い。俺もこの葉書を書いたら、今日は帰る……通知はなるべく多く出した方が可いぞ……俊、もっと葉書を出すところはないか。郷里《くに》の方からもウント香典を寄《よこ》して貰わんけりゃ成らん」
死んだ娘の棺を側に置いて、皆な笑った。
暮れてから、通夜をする為に残った人達が一つところへ集った。豊世は正太の傍へ行って、並んで睦まじそうに坐った。
「世間の評判では、僕は細君の尻《しり》に敷かれてるそうだ」
こう正太は当てつけがましいことを言って、三吉やお倉の方を見ながら笑った。豊世は俯向《うつむ》いて、萎《しお》れた。
お倉は娘の棺の方へ燈明の油を見に行った。復《ま》た皆なの方へ戻って来て、
「正太さんの所でも御越しに成ったそうですネ」
「ええ」と正太は受けて、「叔母さんも御淋《おさび》しく成りましたろうから、ちと御話に被入《いらし》って下さい。今度は三吉叔父さんと同じ川の並びへ移りました」
「三吉叔父さんは一度|被入《いらし》って下さいました」と豊世がお倉に言った。
「今度の家は好いよ」と三吉は正太を見て、「第一、川の眺望《ながめ》が好い」
「延ちゃんも姉さんと一緒に遊びにお出」と正太は娘達の方を振向いた。
土器《かわらけ》の燈明は、小泉を継がせる筈《はず》のお鶴の為に、最後の一点の火のように燃《とぼ》った。お倉は、この名残《なごり》の住居で、郷里《くに》の方にある家の旧い話を始めた。弟、娘、甥、姪などの視線は、過去った記憶を生命《いのち》としているような不幸な婦《おんな》の方へ集った。
お倉はよく覚えていた。家を堅くしたと言われる祖父が先代から身上《しんしょう》を受取る時には、銭箱に百文と、米蔵に二俵の貯《たくわ》えしか無かった。味噌蔵も空であった。これでどうして遣《や》って行かれると祖父祖母が顔を見合せた時に、折よく大名が通りかかって、一夜に大勢の客をして、それから復た取り付いた。こんな話から始めて、街道一と唄《うた》われた美しい人が家に生れたこと、その女の面影をお倉もいくらか記憶していることなぞを語り聞かせた。
「へえ、叔母さんは真実《ほんと》に覚えが好い」と正太も昔|懐《なつか》しい眼付をした。
お倉の話は父忠寛の晩年に移って行った。狂死する前の忠寛は、眼に見えない敵の為に悩まされた。よく敵が責めて来ると言い言いした。それを焼払おうとして、ある日|寺院《てら》の障子に火を放った。親孝行と言われた実も、そこで拠《よんどころ》なく観念した。村の衆とも相談の上、父の前に御辞儀をして、「子が親を縛るということは無い筈ですが、御病気ですから許して下さい」と言って、後ろ手にくくし上げた。それから忠寛は木小屋に仮に造った座敷|牢《ろう》へ運ばれた。そこは裏の米倉の隣りで、大きな竹藪《たけやぶ》を後にして、前手《まえで》には池があった。日頃一村の父のように思われた忠寛のことで、先生の看護と言って、村の人々はかわるがわる徹夜で勤めに来た。附添に居た母の座敷は、別に畳を敷いて設けた。そこから飲食《のみくい》する物を運んだ。どうかすると、父は格子のところから母を呼んだ。「ちょっと是処へ来さっせ」と油断させて置いて、母の手のちぎれる程引いた。薄暗い座敷牢の中で、忠寛の仕事は空想の戦を紙の上に描くことで有った。さもなければ、何か書いてみることであった。忠寛は最後まで国風《こくふう》の歌に心を寄せていた。ある時、正成の故事に傚《なら》って、糞合戦《くそがっせん》を計画した。それを格子のところで実行した。母も、親戚も、村の人も散々な足利勢《あしかがぜい》であった……
皆な笑い出した。
「私は阿爺《おとっ》さんの亡くなる時分のことをよく知りません。御蔭で今夜は種々なことを知りました」と三吉は嫂に言った。「あれで、阿爺さんは、平素《ふだん》はどんな人でしたかネ」
「平素ですか。癇《かん》さえ起らなければ、それは優しい人でしたよ。宗さんが、貴方、子供の時分と来たら、ワヤク(いたずら)なもんで、よく阿爺さんにお灸《きゅう》をすえられました……阿爺さんはもう手がブルブル震えちまって、『これ、誰か来て、早く留めさっせれ』なんて……それほ
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