りがけに行く仕度をした。
「叔父さん、晩召上る物は用意して置きましたから」とお俊が言った。
「よし、よし、二人とも早くおいで。叔父さんが御留守居する――俺は独《ひと》りでノンキにやる」
 こう答えて、三吉はいくらかの小使を娘達にくれた。
 二人の姪は明日の七夕《たなばた》にあたることなどを言合って、互に祭の楽しさを想像しながら、出て行った。娘達を送出して置いて、三吉はぴッたり表の門を閉めた。掛金も掛けて了った。
 窓のところへ行くと、例の紅《あか》い花が日に萎《しお》れて見える。そのうちに三吉は窓の戸も閉めて了った。家の内は、寺院《おてら》にでも居るようにシンカンとして来た。
「これで、まあ、漸く清々《せいせい》した」
 と手を揉《も》みながら言ってみて、三吉は庭に向いた部屋の方へ行った。
 九月の近づいたことを思わせるような午後の光線は、壁に掛かった子供の額を寂しそうに見せた。そこには未だお房が居る。白い蒲団《ふとん》を掛けた病院の寝台《ねだい》の上に横に成って、大きな眼で父の方を見ている。三吉はその額の前に立った。光線の反射の具合で、玻璃《ガラス》を通して見える子供の写真の上には、三吉自身が薄く重なり合って映った。彼は自分で自分の悄然《しょんぼり》とした姿を見た。
 三吉は独りで部屋の内を歩いた。静かに過去ったことを胸に浮べた。この一夏の留守居は、夫と妻の繋《つな》がれている意味をつくづく思わせた。彼は、結婚してからの自分が結婚しない前の自分で無いに、呆《あき》れた。由緒《ゆいしょ》のある大きな寺院《おてら》へ行くと、案内の小坊主が古い壁に掛った絵の前へ参詣人《さんけいにん》を連れて行って、僧侶《ぼうさん》の一生を説明して聞かせるように、丁度三吉が肉体から起って来る苦痛は、種々な記憶の前へ彼の心を連れて行ってみせた。そして、家を持った年にはこういうことが有った、三年目はああいうことが有った、と平素《ふだん》忘れていたようなことを心の底の方で私語《ささや》いて聞かせた。それは殊勝気な僧侶の一代記のようなものでは無かった。どれもこれも女のついた心の絵だ。隠したいと思う記憶ばかりだ。三吉は、深く、深く、自分に呆れた。
 遠く雷の音がした。夏の名残《なごり》の雨が来るらしかった。


「只今《ただいま》」
 お雪は種夫を抱きながら、車から下りた。下婢《おんな》も下りた。
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