て言った。
 その時、豊世は起《た》って行って、水に近い雨戸を開けかけた。
「叔父さん、一枚開けましょう。もう夜が明けるかも知れません」


 一夜の出来事は、それに遭遇《であ》った人々に取って忘られなかった。折角上京したお種も、お仙を連れての町あるきは可恐《おそろ》しく思われて来た。河の見える家に逗留《とうりゅう》して、皆なで一緒に時を送るということが、何よりお種|母子《おやこ》には楽しかった。
 八月に入って、正太も家のものを相手に暮すような日があった。兄夫婦や妹の間に起る笑声は、過去った楽しい日のことをお種に想《おも》い起させた。下座敷の玻璃障子の外には、僅《わず》かばかりの石垣の上を丹精して、青いものが植えてある。お種は、郷里《くに》に居て庭の植木を愛するように、その草花の手入をしたり、綺麗に掃除したりした。
 お種は草箒《くさぼうき》を手にして、石段の下へも降りて行った。余念なく石垣の草むしりをしていると、丁度そこへ三吉が路地の方から廻って訪ねて来た。お種はそれとも気がつかず、往来に腰を延ばして、自分の草むしりした跡を心地好さそうに眺めていた。三吉は姉の傍まで来た。まだお種は知らなかった。その時、三吉は両手を延ばして、背後《うしろ》から静かに姉の目を隠した。
 この戯は、寧《むし》ろお種をビックリさせた。彼女は右の手に草箒を振りながら、叫んだ。何事かと、正太や豊世は顔を出した。三吉は笑いながら姉の前に立っていた。
「お前さんか――俺《おれ》は真実《ほんとう》に、誰かと思ったぞや」
 とお種も笑って、「まあ、お入り」と言いながら、弟と一緒に石段を上った。
「姉さん」と三吉は家へ入ってから言った。「一寸御使にやって来たんです。明日は私の家で御待申していますから、何卒《どうか》御話に入来《いら》しって下さい」
「それは難有《ありがと》う。私もお前さんの許《とこ》の子供を見に行かずと思っていた。それに、久し振でお雪さんにも御目に掛りたいし……」
 こういうお種の顔色には、前の晩に見たより焦心《あせ》っているようなところが少なかった。その沈んだ調子が、反《かえ》って三吉を安心させた。
 正太と二人きりに成った時、三吉は姉の様子を尋ねて見た。
「母親さんも考えて来たようです」と正太は前の夜の可恐《おそろ》しかったことを目で言わせた。
「なにしろ、君、出て来る早々ああい
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