る――おまけに明日は晦日《みそか》という難関を控えている」
 こう言って、正太は鋭い眼付をした。
「さアさ」とお種は浴衣《ゆかた》の襟《えり》を掻合《かきあわ》せながら、家中を見廻して、「出来たことは仕方が有りません。とにかく一時頃まで皆なに休んで貰って、三吉と正太には気の毒だが、それからもう一度捜しに行って貰わず。三吉、すこし寝たが可いぞや。老婆《ばあさん》もそこで横にお成りや――それにかぎる」
 寝ろと言われても、誰も寝られるものは無かった。第一、そういうお種が眠らなかった。すこし横に成って見た人も、何時の間にか起きて、皆なの話に加わった。十二時頃、一同夜食した。
 時計が一時を打つ頃、三吉、正太の二人は更に仕度《したく》して出掛けることに成った。
「叔父さん、風邪《かぜ》を引くといけませんよ――シャツでも進《あ》げましょう」と言って、正太は豊世の方を見て、「股引《ももひき》も出して進げな」
「じゃあ、拝借するとしよう」と三吉が言った。
 三吉は股引に尻端折《しりはしょり》。正太もきりりとした服装《なり》をして、夏帽子を冠って出た。


「姉さん、お仙ちゃんが帰って来たそうですネ――よかった、よかった。僕は今そこの交番で聞いて来た」
 と言って、三吉が飛込んで来た。
「お仙、叔父さんに御礼を言わないか」
 とお種に言われて、お仙はすこし顔を紅《あか》めながら手を突いた。この無邪気な娘は唯マゴマゴしていた。
「叔父さん、もうすこしで危いところ」と豊世は妹の後に居て、「悪い者に附かれたらしいんですが、好い塩梅《あんばい》に刑事に見つかったんだそうです。今まで警察の方に留めて置かれたんですッて」
 そこへ正太も妹の無事を喜びながら入って来た。
「随分心配させられたぜ、もうもうどんなことが有っても、独《ひと》りでなんぞ屋外《そと》へ出されない」と言って、正太は溜息《ためいき》を吐《つ》いて、「お仙がもし帰らなかったら、それこそ家のやつを擲殺《はりころ》してくれようかと思った」
「ええ、そこどこじゃない」と豊世は後向に涙を拭《ふ》いて、「お仙ちゃんが帰らなければ、私はもう死ぬつもりでしたよ……」
 一同はお仙を取囲《とりま》いて種々なことを尋ねて見た。お仙は混雑した記憶を辿《たど》るという風で、手を振ったり、身体《からだ》を動《ゆす》ったりして、
「なんでもその男の人が、
前へ 次へ
全162ページ中90ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング